前回に引き続き「分と加減」です。
僕が伝えている加減の定義とは色々な意味を含んでいるものをメタファーとしています。それは最適化であり分別であり了見の事です。この分別の「分」というものは、この国ならではの美意識です。それは暖簾分けの「分」であり、自分であり、気分であり、分担を表します。
前回、二宮尊徳は仕法と分度の思想を伝えたと書きました。収入を上回る支出は必ず破綻する。よって「分を弁え」それに応じた生活や事業を行う事が分度の意味です。
例えば、8代目将軍である徳川吉宗は庶民的な感覚、質素倹約の精神を持っていたと言われ、享保の改革を行いました。改革を行った理由は商人達を抑える為だといいます。家康も江戸の活性化の為、商人(商売)に重心を置いていた反面、商人を一番警戒していたと言われています。
商人が諸外国の貿易によって分を超え拝金主義へ傾き、お金によって人を支配するようになることを恐れていたのです。人の心性なんてものは今と何ら変わらないのですね。
その後、家康の予感は当たり、商人が起こした江戸資本主義によって今の政治家ともいう立場の武士は金を湯水のようにつかい、幕府の財政はどんどん悪くなっていきます。これをどうにかしようとして行った改革が享保の改革なのです。
そもそも江戸時代の国作りの基礎となっていた「士農工商」は身分差別ではなく、それぞれが分度のように「分をわきまえる」事が目的。お互いが尊敬し、各自がお互いの役割に誇りを持つことで、調和するためのものでした。よって(武士以外)希望すればどの職業にでもなれたのです。
吉宗の政治は一部の問屋商人からは嫌われた将軍なのですが、庶民の声を聞く目安箱を見るように、積極的に下の声に耳を傾ける人でその功績から後に「中興の祖」と言われます。まあ、吉宗には色々と黒い噂はありますが、結果として潰れそうになった幕府を立て直した名君ですね。
ちなみに織田信長も活性化の為に商人の楽園を作った人です。有名な「楽市楽座」は安土に来た商人は無税とし、商人達にとって楽園のような場所にしました。まるでコモンズの悲劇ならぬ喜劇です。その影役者には蒲生氏郷という天才経営者がいて、彼が西川利右衛門を始めとする近江商人や会津商人を育てたと言われます。
蒲生氏郷がまた男から見ても惚れそうな仁義の持ち主で、有名な話に「蒲生風呂」というものがあります。蒲生氏郷は貧しい大名時代でも、たくさんの優秀な家来をもっていました。当然、他の大名は不思議に思います。なぜ給料が満足に払えないのにそんな優秀な家来がたくさん集められるのか、と。
なぜ集まったか、というと蒲生は誠意を家来に示していたのです。手柄を取った家来を家に呼び、自ら風呂を沸かし、湯加減まで見ていた。今でいう社長の立場である人がそうやって態度で示したのです。当然、家来達は心を打たれた。蒲生の家来達は結束力が抜群に高かったそうです。
先ほどの商人たちが金に狂ったのと同様、
人の心は何年経とうが変わらないですね^^
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最近、右だ左だ、やれ中央だと世間がやかましいのですが、どっちにせよ、極へ向かえば悪くなるのは世の常、理です。歴史振り返れば、自我欲求による勢いが強まる時、必ず方向性を最善にする動きが起っています。振り子は必ずバランスを保つ、中空構造でいう「ゆり戻し」です。それはまるで日本版の「神の見えざる手」のよう・・・理性だけではなくこういった人間精神では説明できないものがあるんだと、最近思います。
余談ですが、カントは理性を批判し、ヘーゲルは理性側に着きました。個人的にはカントの方が分を弁えていたように見えます。哲学の限界を知り、その境界線をスパッと引いたのですから。
「吉宗って聞くと暴れん坊将軍が出てくる・・・」と思った方は
office unreveの公式ホームページも、ぜひ一緒にご覧くださいませ(笑)
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記事読ませて頂きました。現在何かビジネス等されてるんですか?僕も個人でビジネス展開をしてます^^僕のブログで奇抜な自己紹介を行ってるのでよかったら読んでみてください^^