人間の条件、革命について、全体主義の起源・・・
意外と、内容覚えているもんだなぁ。
ちなみに暗い所で暗い本読むと、
その反動で明るい性格になれますよ←大嘘
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朝から何杯もコーヒーを飲むのが日課のハンナ、
その習慣を守るため、学校の授業をボイコットし、
退学させられるような一面も。
そんなハンナが追及しようとしたもの、
それは「自由とは何か?」
彼女は、政治哲学をギリシャ的な公共性を元に、
自由を定義し、構築しようと試みた。
精神だけでは自由は掴めない、
精神と現象の関係性において、それは可能だ、と。
ニーチェとは違った、関係性においての自由、
ハイデガーとの出会いがそうさせたのでしょうか。
(ちょっと意地悪な疑問ですが)
ナチスの強制収容所から脱出し、
アメリカに亡命したハンナ、
奪われた自由、取り戻す自由によって、
人間の根源的な自由を問い続けたのです。
今日はそんな、ハンナ、話でも。
(ここからちょっと文体が堅くなります)
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さて、題名には「人間の条件」とあるが、
ハンナは、条件そのものの定義はしていない。
彼女が言う条件とは、公共性(公共空間論)
という概念である。
パブリックにプライベート(自由)を組み合わせた、
政治システムの完成形(不死の活動共同体)、
これは二項同体であり、永続的な「活動状態」とは
リゾーム派生の流動的組織形態の概念に近い。
リゾームがヒエラルキーのアンチテーゼではないように、
二分し、別物としながら繋がるように、並列的な構造なのだ。
なぜ公共性や流動性が必要なのか?は
度々書いているので詳細は省くが、
全体(マジョリティ)を部分(マイノリティ)で
破壊しても、やがて新しい全体が生まれ、固定するからである。
よって、ヒエラルキーのような階層にはリゾーム式は
分類(分散)という構造が必要であり、
それが「誰のものでもない」場所によって統合される。
そこに「米国の絶対原理」を持ってきているからこそ、
今の国際社会、グローバルは不和を起こしているのだ。
社会性はどうしても空気によって一体感を強要する。
なぜならば、社会性(空気)とは全体の結果である。
そんな必然的な抑制を生み出す社会の
空気感は、生まれた以上、どうにもできない。
ただ、それを変え「続ける」ことができる
「場所」があればいいのだ。
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公的領域をハンナは自由と排除への抵抗だとし、
それは一種の「テーブルのようなもの」だと定義する。
それは我々を結びつけると同時に、異なる存在として
分離させることができる「シンボル」なのだ。
つまり、公共領域とは全員が自由意思を持って
全員が参加し、決定する場所である。
世界(社会)と共生するというのは、この
「家族が集まるテーブル」に自主的に参加することで可能となる。
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自由は解放するだけでは余計に害悪となる。
これは革命後の国家を見れば明らかだ。
自由を手にする為には、各自がそれを自覚し、
建設的に参加する場の「状態維持」が必須なのだ。
これを古代ギリシャはポリス(最高善)として確立していた。
故にネグリは公共善を説く、確かにその場の決定が
社会性を持つ以上、前提には善がなくてはならない。
ではその「善」とは何か?
目指すべき「志向性」は何か?
個人が多様で自由なまま、集団として
成立する国家とはどういったモデルなのか?
これに答えられないままの解放運動が、今の革命なのだ。
今のこの国の自由(解放)を見れば、
「新しい時代」という大義だけで形成されている。
それが「参加しなことによる自由」である以上、、
極端な話、国際社会における北朝鮮の立場と変わらない。
しかし、そうすることでしか
自由を得られないのも事実である。
つまり現代システムの最大の欠陥は
テーブルが「父権社会」のまま変わっていない事、
ここが最大のボトルネックになっているのだ。
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世論(社会の空気)と個人の意志・意見の自由は
根本的に水と油の性質である以上、そこには境界線である「場」が必須となる。
それはロールズの無知のヴェールから派生する、
先駆的な正義ではなく、都度構成する状態の場ではないだろうか。
そんな共和政治体の代案基礎を持った者たちの革命、
これが真の革命だ、というのがハンナの意見である。
これはまさに、一神教であるキリスト教に対する
多神教の仏教が対立しているようにも見える。
そして、その統合素材には「中空無為」と、「場の形成」、
「志向性」の定義が必要ではないか、というのが僕の考えだ。
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革命によって既存構造を破壊しても、我々が共同体・
社会を形成する生き物である以上、必然的に
同じようなもの(またはそれ以下)が生まれる。
反による解放は永遠のいたちごっこなのだ。
既存の組織を変える、新しい代案。
それが一体いつ、誰が、どこで、生まれるのか。
それとも「すでに生まれているのか?」
と言う事で、次回はハイエクでも。
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