2013/08/12

本質は語れず




こんばんわ、坂口です^^
みなさん、七草粥、食べました?



ちなみに僕は生れて数回しか食べてませんが、
普通のお粥はかなり好きです(笑)




さてさて、今日は
ちょっとお堅いテーマになりますが、
興味のある方はご覧ください。






現象の奥には「見えない」が存在(実在)している。
僕はそう思っています




つまり「有るものが見えず」、
逆に「無いものが見える」ということです。



例えば、今使ってるパソコンなんてそう、



パソコンが動いているようですが、
実際動かしているのは、見えない「電気」ですよね。



スマホもそう、動いているのは
バッテリーであって、電気です。



それと同じ様に、我々の身体は実在ではなく、
身体を動かしている「エネルギー」が実在でしょう。



コップの本質はコップの形をした
ガラス(最終的には素粒子)。



つまり、ガラスの形を変えたのが
コップであり、窓であり、花瓶ですよね。




「お煎餅」を砕いたら、
最終的には粉になりますが、



粉々に砕いた煎餅と、
砕く前のお煎餅は別物だと言えません。



それは状態が「移行」しただけなんですから。






どれも同じ




つまり「煎餅」や「花瓶」は、それ自体の
本質ではないということです。



こう書くと「粉とかガラスは
目に見えるだろ」と思うでしょうが、



それをさらに細かくすれば、
最終的には不安定な素粒子になりますよね。



つまり「確定できない状態」になる、と。



「だいじなものは目にみえない」。
星の王子様は、良い事いいましたな(笑)



☞ ☞



こういった本質的実在は、生まれもしなければ
消えて無くなることもありません。



逆を言えば生成する、消滅するものは、
実在しない証拠だと言えるでしょう。




「作り」、「名前」をつけるからこそ、
生成するのであって、同時に消滅する。




生まれてきた以上、やがて死ぬわけです(笑)



☞☞



形式化(現象)はすべて、
この「消滅」の運命から逃れられません。



つまり「有る」と言うのは本質が、
様々な形を現わしているということ。




ここに、世界の意味がある気がしますね。



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