こんばんわ、坂口です。
これがアップされた頃は新潟にいるでしょう(笑)
さて、今日は「変化」についての小話。
お暇な方だけどうぞ。
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現在の進化論は統合説が主流です。
例えば、ネオ・ダーウィニズムは自然選択と
突然変異によって生物は進化すると言われます。
この原理の隙のなさは、いったん通過すれば
それが採用され、最終的にそこへ回帰してしまうこと。
つまり円環が閉じられるわけです。
結果、あらゆるものを取り込んで
どんどん大きくなる、まさに統合説の所以でしょう。
一見、綺麗で美しい理論なんですが、
僕はこれがどうも、嫌いなんですな(笑)
この理論で言えば、外部環境が起因ではない
偶然に変化したもの(突然変異)は
決して行き残るために生まれた訳ではない。
ただ、その変化は生存競争の中、
「自然選択」の結果として淘汰され、
生き残ったものだけが、世界に介入する、と。
そんな突然変異と、自然選択の繰り返しが
この理論の根っこにあるんです。
つまり変化や変異は偶然であるけれど、
そこからの競争原理は、必然だ、と。
ここが嫌いなんです。
なんで競争原理が必然なんですか。
確かに、遺伝子、生物学的に言えば
そう「見える」かもしれません。
しかし、人間。ことさらビジネスにまで
この理論を 持ってくる方々、一度考えて頂きたい
「人間=生存競争」じゃないでしょう。
もっと素朴に考えませんか。
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最近「適応者こそ強者」という内容の
経営セミナーで賑ってます。
生存力がある大資本が「強者」ではなく、
環境に適合した者=「適者」こそ強い、と。
よって、変化の激しい今の時代では、
意思決定が速く小回りのきく中小企業が
適者(強者)の要素を含んでいる為、
それを活用するビジネスモデルが
今後必要になってくる、というものです。
僕はモデルに対しての批判はありません。
リゾーム型FCも「個」と「最適」がコンセプトですから。
ただ、ここで無意識的に使ってる
「強者生存」、これが気に食わない。
変化したもの「だけ」が生き残る?
もしかして、自分だけが生き残る
ために「変化」を取り込もうとしてるのでしょうか。
それって「変化こそ優れている」という
競争原理、優勢劣敗の考え方じゃないですか。
だったら次のシナリオは確定しますわ。
「より変化した者だけが生き残る競争原理」
これに尽きます。
市場の拡大が目的である以上、
避けられない、そうでしょう?
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僕はその分野の専門家ではないですが、
変化とは、棲み分ける手段だと思ってます。
たとえば、山へ向かった種が我々で、
海に残った種がクジラとかイルカですが、
どっちも生き残ってるわけでしょう、
本来、海と山、きれいに「棲み分け」が起きているわけです。
魚が劣っていて昆虫が
優れているなんて、言いませんよね。
陸に上がった方を進化と定義しているのは
結局は人間の目線なわけです。
比較して嬉々としているのは
人間くらいなもんですわ。
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鳥だってそうですよ。
別に生き残るために空を選んだわけじゃない。
さらに言えば、飛ぶために羽が進化したのか、
「羽が進化した結果、飛ぶことができた」のか
分からないじゃないですか。
つまり、種の進化的な変化であって、
生存の有利不利とは断定できない。
偶然の自然選択とは違った
種としての意志の出所は置いといて、
生存に有利な「形態」、という考えは
どうも我々の勝手な解釈にしか見えないんです。
つまり進化論は人間の頭の「投影」であって、
世界の実体ではない。
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ダーウィンの語る世界が正しいというのは、
つまり、ダーウィンを神としてるのと同じ事でしょう。
それだったら、僕は今西錦司氏の
言うような「共生」の理論を選びます。
一つづつの自然なんてものはない、
その全てが繋がった「一つの自然だけ」がある、と。
氏は、自然の中では最適者が生き残れる
のではなく、「運がある者」であると言います。
運だけはどうにもすることができない、
ただ、こっちの方が、よほど等身大です。
それを超えた理論なんて、
大体が 頭で作られた偽物のような気がしますね。
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主に、雑誌やモデル関係の記事を書いております’とおる’と申しますm(__)m芸能プロダクションの専属スカウトマンとして、日本でもトップクラスの実績を残して来ました(^^♪これから、もっと交流出来たら嬉しいですっ(^^♪ちなみに、雑誌とかイベントコンパニオンとかご興味おありでしょうか?
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アメブロ記事楽しく拝見しました!!私のブログも更新頑張ろうと思いました(^o^)記事楽しかったので、またお邪魔します♫失礼します。