2013/02/07
饗宴
美意識というものがある、
今では廃れてしまった概念だが。
「恋愛とは美しいものに心惹かれること」、
これはプラトンの言葉であるが、
それは自己の中にある無意識的な「欠けたもの」を
対象に見出し、それを得たいという根源的な欲求なのだろう。
そんな、より完全なものに近づこうとする本能。
これがエロスというわけだ。
今日はそんなエッチな小話(違うか)
☞☞
我々が原理原則に忠実に従いたいと願うのは
我々がこういった「美」に心惹かれるからだろう。
そうなると原理(理性)は美の表象だと言われそうだが
あくまでも「理性的」ということだ。
(これはゲーテを引用するまでもない)
では理性的な美、とは一体なんだろう。
「潔し(いさぎよし)」というのも美意識である、
自決とはそんな美意識の忠義心から生まれたのだろう。
(半分は理解できるが)
生きようとするがゆえに、死を覚悟する、
なるほど、武士の嗜みとはそんなものなのだろう。
☞ ☞
僕はそんな強要は好きじゃない。
よって、馴染みや心地を重視する。
住み心地、夢見心地、居心地、履き心地、
着心地、人心地、生きた心地、呑み心地など、
日常でも頻繁に使われているこの心地であるが、
源氏物語(平安時代)にも、その言葉は使われている。
そんな約1000年の時を超えた言語であるから、
その発声自体にさえ、何かしらの心地良さを感じる。
(詳しく記述は割愛するが)
言葉には少なからず言霊という波が起きてるのだろう。
いやはや、仮名(神名(かむな))とは面白い。
知ることを知る大切さは、この歳になって分かるものだ。
閑話休題
そんなわけで心地の概念は概ね、そんなところだが、
これ以上は語る事ができない。
それは美を正確に語れないのと同じである、
そもそも、男の美学や美意識とは語るものではない。
逆を言えば、こうやってブログに書いている時点で
独りよがりの美意識にすぎないのだろう・・・・南無三、なむさん、と笑
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