文化人類学者である山口昌男は文化構造について
「道化論」という概念を提唱しました。
「道化」とは神話において、神や王のような
絶対者の言葉をひっくり返す異質な存在、
混沌と秩序の境界を明確に劃するものであり
自由の境界線にいるトリックスターとも言えます。
内部と外部が反転する「どちらでもない場所」に存在し、
秩序(外部)の中に潜む痴愚性や、愚かな現実性を露わにするもの。
だからでしょうか、道化であるジョーカーは
カードゲームでは「最強」でありながら
「最悪」の役割を持っています。
ピカソが道化師を好んで描いたていたのは、
なにかしら共感するものがあったのかもしれません。
世界で対立する二項には道化の位置、
境界線が必ずある、個人的にそう思ってます。
そのどちらにも属さない仲介者である
「異質者」が存在し、二項を調和・統合しているのだ、と。
N極とS極を分ける「あいだ」しかり。
「N極」のアイデンティティが確認されるためには
「S極」が必要であり、「N極とS極」の
仲介者である「境界線」はどちらにも属さない異質、
道化は極端を嫌う。
いとも容易く、ひっくり返す。
不思議な現象ですが、多分にそういう原理なんでしょう。
✍✍✍
我々は生きている以上、必ず他者(彼ら)と出会います。
同化する為ではなく、他者との差異を知り、調和する為に。
そんな多義と一義は表裏一体、切り離せないもの、
かのチャップリンは、笑いと哀しみは表裏一体、
分かち難いものであることを演じました。
もしかすると彼は「境界線」を演じていたのかもしれませんね。
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