「言う者は知らず、知る者は言わず」。
この老子の言葉は小林秀雄も好きだったようです。
本当に大切なことを知っている知者は
多くを語らず「希言こそ自然なり」
(寡黙であることが自然な姿)だ、と。
物書きの立場の人がこう言うと
矛盾してそうですがそうじゃない。
ある分野について様々な知識を持っている
博識な人の意見が必ずしも全てをわかっている
わけではなく「わかる」という言葉は
実に色々な意味があると言うことです。
数学が分かる、音楽が判る、芸術が解るetc。。
「わかる」とはただ純粋に感じること。
その対象を好きになり愛すること。
小林が自分の書く言葉は説得ではなく
告白だと言っていたのもそういうことでしょう。
たとえ知識がない子供であっても
専門知識を身に付けた大人より
鋭いものを持っていることがあります。
それは何も知らないという無知ではなく
心が歪んだり捻くれたりしていないという意味の純粋でしょう。
その証拠に感性の鋭い人は大人に
なっても子供の心を失っていないものですね。
そんな純度を保つ努力を怠りたくないなと思う
今日この頃です(゜-゜)
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