2017/11/06

二人静






二人の役者が共にシテ(主役)となる
能楽の二人静、


どちらか一方ではなく「どちらとも」。
これを能の世界では相舞(あいまい)と言い
息がぴったり合うほど盛り上がるんですね。
八百万の神々が話し合うことで新たな価値を
生み出す産霊(ムスビ)の概念然り、
その起源はずいぶん古くから存在しています。
小林は著書「本居宣長※補記」では
日常の対話問答の重要さを説きましたが、
似たようなものでしょう。


無心是我師、「これが絶対に正しい」という
思慮分別を主張しない無私の対話。
生きた人間が出会い、問答するその状態こそ
真智を得る道である、と。



書物を何度開けてみたって、
同じ言葉が書いてある。
一向面白くもないではないか、


人間に向って質問すれば返事をするが、
書物は絵に描いた馬のように、いつも
同じ顔をして黙っている。 

人を見て法を説けという事があるが、書物は人を見るわけにはいかない。 



他人を無理矢理に説得するような
弁論術や書かれたものをただ読むだけの
演説では人の心に響くことはなく智慧は生まれません。


そんな当たり前のことが分からなくなって
きている昨今、相手をやっつけるための
ディベート(雄弁術)とは真逆の性質である
ディアレクチック(対話・問答)ができる
場の形成が求められていますね。


心を開き、相手をリスペクトすることで
作り上げる共創という概念、


成功した経営者はこの有り様を「素直」と呼んでいるのでしょう。






0 件のコメント:

コメントを投稿