以前、空想と想像は違うと書きました。
空想はファンタジー、漫画から引用した
世界であるけれど想像(力)には直感もあれば、
記憶も感性も 情緒も理性もあります。
そんな複雑なものを抱え込みながら
何かを作り出すのが人間の創造でしょう。
故にどんなに純粋な仕事であっても、
それは純粋な水のような「純度」はなく、純粋な意思は100%の潔白性ではない。
様々な経験の中にある色彩を重ね、
陰と陽がぶつかり合った結果、何者かが残る。
その豊富な抽象性でしょう。
今日はそんなところから。
日本では芸能活動をしている人を
アーティストと呼んだりしますね。
art、つまり芸術を作る人が
アーティスト(artist)である、と。
ただ、フランスのartは定義として芸術だけではなく、
いろんな意味があります。
美術だけでなく技法、医術、といった「ワザ」もそう。
芸術家(artiste)と職人(artisan)は親類語なんですね。
芸術は、美は現実対象として
存在するということ。
故に現実を見失った瞑想の中において、
作品は実を結ばないという明確な答えに辿り着くのです。
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作り出さないと判断できない。
なぜなら、人は存在するものしか考えないのだから。
その絶対的に変わらぬ第一条件から
アランや小林の言う端的な言葉が意味を持つ、
「作品を考えよ、作りだせ」。
なるほど、その「気質性」の源泉がなければ
仕事はアートではなくワークになってしまう、と。
なるほど、その「気質性」の源泉がなければ
仕事はアートではなくワークになってしまう、と。
現実対象としない理論や思想は
ただの絵空事である、ということでしょう。
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どんなに小さくとも、表舞台に立たなくとも
何かを美しく仕上げるため、熱心に、
あるいは無心に繰り返す人はアーティストだと思います。
逆に、いくら純粋で高貴なものであっても、
それがスピリチュアリズムの域から脱出していないのなら、
我々は真の意味で判断することができないのです。
芸術家というより職人になりたいですね、その直結を目指したい。
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