真の独自性とは蛇の脱皮ではなく、
サナギから蝶になるように、自らを創造していく。
また、サナギから蝶になるだけでなく
蝶からまた新しいサナギになるかのように、
創造したものをすぐに手放すことで
次の創造が新たに呼び込まれるのでしょう。
幸福が幸福を産み、不幸が不幸を産むように、
創造はこの円環螺旋の繰り返している。
それを直観すれば「大いなる循環」もまた
自らが創造していく過程となっていく
という不可思議さがありますね。
言葉ではうまく説明できないのですが、
創造が創造を産むという仕組み自体が
新しい創造の一部になっているかのよう。
それはもう原理的に説明不可能ですね。
放送禁止用語である「神さま」を持ち出さないと
説明できない(笑)
端的に言うならば、創造の原理というものは
一連の流れの中にあるものであって、
それを途中で止めて「説明」することは
できないのでしょうね。
ということで、今日は創造について。
あくまでも個人的な意見です(゜゜)
☞☞☞
以前強迫観念的な変化を否定した記事を
書きましたが、その変化は蛇の脱皮のようなものです。
理想を求め、様々な経験に飛び込むけれど、
すぐに「これじゃない」と、別のものを探し回ってしまう。
しかし、目の前にあるものに満足しないのは
「変わらない蛇のまま」ということではないでしょうか。
観点を固定してるからこそ、理想の青い鳥を探してしまう。
僕はそのように思います。
もちろんそれも必要ではあるでしょうが、
その螺旋は、かけたハシゴは、いつか降りなくてはいけない。
本来の変化は創造的です。
そして創造とは産みの力である以上、
その過程には必ず苦しみが伴います。出産の苦しみは女性にしか分からないけど、
そこには女性にしか分からない歓びがありますよね。
画家もそう、作家もそう、経営者もそう。
立ち上がろうとする幼児だってそう。
産んだ本人だけが、苦しみを対価として
「これだけは間違いない」という確かな歓びを
会得するのでしょう。
それが「受苦」の本来ではないか、と。
我々が引き受けていい苦しみはそれくらいです。
つまり苦しみこそが力の源泉である、と
よく「苦しみをバネにして」と言われますが、
そうではなく「苦しみ自体がバネ」なのでしょう。
それによって、辛い困難を乗り越えたり、
今まで見て見ぬふりをしていたものに
意味を見出すことができるのであって、
そこで苦を排除しようとするから
「排除する力」が創造され、
余計な苦労を呼び込むのではないでしょうか。
「人は生まれ、苦しんで死ぬ。
人生の要点はそれで尽きている」
と言う正宗白鳥の言葉が、ここでようやく生きて来る。
四苦八苦とは四楽八楽という彼岸への入口である、と。
☞
もしかしたら、あなたは創造の途中で
苦しい思いをしているのかもしれません。
そこで「くだらんことでいちいち悩むな」という
的外れなアドバイスは流していいんです。
「そのアドバイス自体がくだらん」、ってね(笑)
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