日本流リゾーム、五回目となります。
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さて、今までの内容をザックリまとめてみると、
こんな感じですかね。
①戦後、この国が連合国に二度と歯向かう
ことがないよう、財閥や軍の解体だけでなく
日本の精神を支える神道(神話)を抹消しようとした。
②ただ、いきなりやると猛反発が起こるので、
「ゆでガエル」式に徐々に解体していった。
(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム)
③その解体しようとした神話(古事記)は
押し寄せる外国の文化を日本流に編集したもの。
この国の根幹を支える精神でもある。
④その神話には唯一神ではなく
たくさんの神(八百万)がいて、人間のようである。
⑤しかし、それはそれぞれの神さまが持つ
「真心」であって、それを素直に出せる国だった。
そういや来週は建国記念日。
我ながら、良い時期に書いたもんですわ(笑)
さて、前回は古事記の真心について
少し触れてみました。
古代の日本人は、そんな飾らない生き方を
神々の時代から受け継いでいたんですね。
これこそ、仏教や儒教やキリスト教が輸入される
以前の生き方であって、それを古道(惟神の道)と言います。
この国は「教え」じゃなくて、道なんですね。
驚くことに「道」だけで、国が統治できてたんです。
余計な知恵(漢意)を出すことなく、
神様のいた時代の通りに天皇は政治を行い、
民衆もまた人間の作った価値基準を
超えた心(真心)で生きていた、と。
宣長は古事記からそう感じ取ったんです。
まさに「全員が自然のままだったのだろう」と。
☞☞☞
反面、これが一神教だとそうはいきません。
一神教はたくさんの神様が歩み、
自然に出来た道ではなく、
一人の聖人が作った一つの(絶対の)教えです。
キリストしかり、仏陀しかり。
一つの真理を一人が作ります。
ただ、そうなるとそれ以外が
間違いになるので排除しないといけませんから
「白黒はっきり」しないといけなくなるんです。
正解は一つですからね。
一神教は主導権を譲ることはできないのです。
☞☞
本来、あらゆる学問が追及するものは
全員の幸福であるはずなんですが、
「たった一つの真理」とは
人を冷たくさせる部分がありますね。
科学だって似たようなもんです。
もちろん、たくさんの恩恵はあるけれど、
暗くしている部分だってたくさんあるんです。
例えば、現代は生理学のようなものが
「心の設計図」だと思っていますが、
そんなバカな話はありません。
それは人間という「種」としての後追い分析、
「わたしの個性」など、まるで入ってないでしょう。
そりゃそうです。「わたし」という個人を入れると
科学はどこにも行けなくなりますからね。
つまり科学とは万物を白黒(0・1)に捉えることで、
「○○すれば、□□になる」という固定した関係性を
見出す学問ということ。
つまり科学とは万物を白黒(0・1)に捉えることで、
「○○すれば、□□になる」という固定した関係性を
見出す学問ということ。
1+1は2であって、それ以外の解はない。
粘土のように「大きな1」になると言う解は×なんです。
粘土のように「大きな1」になると言う解は×なんです。
その前提で出来上がったのを、
我々は形式一点張りだと、嫌ってるじゃないですか。
☞☞
厳しい言い方になりますが、
そんなものは誰だってわかります。
しかし本当に高度なものは形式では
語り尽くすことができないんです。
例えば以前は、語りえないものを表現した
芸術や音楽は貴族だけのものでした。
(中には分からない貴族もいたでしょうけど)
反面、形式だけのものは大衆が習得する
ためにあるもの、今の学校形式だって
元々ナポレオンが軍を結成するのが目的です。
それってまさに「わたし」を「大衆」という種として
取り扱っている証拠じゃないですか。
形式というものは誰でも習得出来る以上、
使い方次第では怖ろしいことになる。
だからこの国は理論一辺倒ではなく、
寺子屋という、個別教育があったんです。
ん。話が逸れましたな(゜゜)
次回に続きましょうか←おい
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