日本流リゾーム、七回目となります。
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現時点で古事記を書いているのか
宣長を書いているのか小林を書いているのか
わからなくなってきましたが(笑)
共通して言えることは、我々の自然で素朴な
感覚を大事にしなさいよ、ということでしょう。
根あるがゆえの花、
その根を明らかにすることは大切なことですからね。
さて、前置きはこれくらいにして、
そろそろ本題へと移りますか(゜゜)
宣長はこの国の文化、精神性は女々しいもので、
それを和歌として表現してると言います。
大和の心は理屈で善悪をキッチリと分けるような
勇ましいものではなく、あいまいで移ろいやすいものなんです。
なるほど、
「勇ましいことは滑稽である」と小林は言ったけれど、
多分にそれは世間体用に取り繕った心であるということでしょう。
つらいもんはつらい。
それでいいんです。
この国はそんな清濁併せ持った真情を
そのままに認めてたからこそ、意見の
異なる相手でも通じ合うことができました。
例えばこの国は「対話」で国家を統合してますが、
そんなこと出来たのは、この国以外ありません。
もちろん国譲りの様に政治的駆け引きのようなものも
中にはあったのでしょうが、儒教や仏教のように
「聖なる教え」を相手に説くものじゃなかったんです。
つまり相手の主体性を奪ったり、
自分の主体性を失ったりはしていないんですね。
☞☞☞
自己の主体性を失って協調する(同)や
力で相手を屈服させるのは実に容易いけれど、
自己の主体性を保ちながら
協調するのは非常に難しいもの。
裸の自分を出す素直さと、それを認める
寛大さがなくてはいけませんからね。
逆を言えば、この国はそれが出来ていたということ。
その証拠に、この国では大規模な
宗教弾圧(戦争)は起きてません。
七福神だって恵比寿さん以外、海外ブランドですよ(笑)
信仰する神だって仏と融合(神仏習合)できるんです。
そんな様々なものを取り入れ、調和させることに
非常に長けているのは、異質に対する寛容さであって、
その精神は神代から続いているのだと
古事記には書かれているのです。
wikiより引用
しかし他の国はそうじゃない。
よその神様は全知全能で絶対正義、
それを信仰する人からすれば譲れない。
どうしても「一位」を獲得しないといけないんです。
だから世界の歴史は
「宗教戦争の歴史」になってるでわけでしょう。
自分たちが正しいと、和さずに「同じた」集団が
いつもドンパチやってますが、
そんな派閥的な利害があると素直な
人間同士の付き合いなんて、できるわけありません。
仲間内では信頼されている人であっても、
対立する相手からは「悪人」になってしまいますからね。
それが相手ではなく所属する集団の
イメージで判断していることだということに
気が付かないんです。
☞
もちろん価値観の合う仲間を作るのは
素晴らしいことです。
しかし、何かを啓蒙しようとする団体は
必ず所属するための条件があるんです。
僕はそんな小さな会議室でしか通用しない
真理なんて、間違っていると思うんですね。
だから会話ではなく対話をやっていこう、と。
もちろん、まだ上手くは出来ないけど、
僕はそうやって相手と接して行こうと決めてます。
失礼、最後は脱線話でしたな(゜゜)
てなわけで、次回に続きます。
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