2016年の干支は申年。
申年は物事を良い方向へ導く
道案内の年でもあると言われますね。
その起源は日本書紀。天孫降臨の際、
ニニギノミコトを道案内をした猿田彦大神からの派生です。
我々日本人はそこはかとなく神社へ
参拝しますけど、こういった起源があると
我々日本人はそこはかとなく神社へ
参拝しますけど、こういった起源があると
思えばまた違った意味を持つのではないでしょうか。
天照大御神の道である皇道を統合させた
神儒一致の神道を垂加神道と言います。
提唱者は山崎闇斎。荘子・孟子が説いた
天人合一(天人唯一の理)に近い思想です。
中国思想の最大のテーマでもあるこの概念は
時を超え、ここ日本では山崎闇斎が火付け役に
なったんですね。
闇斎は皇居のある京都で天皇崇拝(封建体制)を唱えた。
こういった儒学(朱子学)を展開させたのは
他にも藤原惺窩や林羅山がいるのですが、
「排他的」な理由から、朱子学に傾倒しています。
つまりアンチ仏教からの派生ということ。
この時点で古来の神道や天成神道の考えと
かけ離れているのは言うまでもありませんが、
当時は庶民や武士から大きな支持を得たと言います。
提唱者は山崎闇斎。荘子・孟子が説いた
天人合一(天人唯一の理)に近い思想です。
中国思想の最大のテーマでもあるこの概念は
時を超え、ここ日本では山崎闇斎が火付け役に
なったんですね。
闇斎は皇居のある京都で天皇崇拝(封建体制)を唱えた。
こういった儒学(朱子学)を展開させたのは
他にも藤原惺窩や林羅山がいるのですが、
もともと彼らは、禅を学ぶ仏教徒でした。
しかし学んだ仏教や禅を包括しようとはせず、「排他的」な理由から、朱子学に傾倒しています。
つまりアンチ仏教からの派生ということ。
この時点で古来の神道や天成神道の考えと
かけ離れているのは言うまでもありませんが、
当時は庶民や武士から大きな支持を得たと言います。
なぜ、そのような思想が歓迎されたのか。
その背景には、江戸社会を統治するための
観念が不在だったことが挙げられるようです。
長い戦国時代の末、ようやく社会統合された
初期の江戸ですが要となる社会統合観念が
ありませんでした。いわば良い意味での
イデオロギーが存在していなかったんですね。
もれなく「人間とは何か」といったような
根源的な問題に突き当たったのです。
いつの時代も、安心した環境が続けば
余計なことを考えるもの、当時の江戸ももれなく「人間とは何か」といったような
根源的な問題に突き当たったのです。
「奪う、騙す、殺す」の戦国に終止符を
打つ以上、この命題は避けて通れない。
この問いに対し自前の答えを持ってない
この問いに対し自前の答えを持ってない
徳川幕府は仏教や儒教など他国の既成概念を
輸入・編集することで社会統合観念を作り
出そうと考えたのですが借り物である禅や
仏教は社会統合できず、やがて神秘主義に陥ってしまったと言います。
それに対抗するかのように、現世的な利益を
追求する儒教(朱子学)が支持された、と。
個人的に、ここに揺り戻しの原理をみますね。
特に現状が閉塞している時はアンチや
逆張りの思想が最大の効果を発揮するのは
今も昔も変わりません。
言ってますが、それもあるでしょう。
猿田彦大神は最良の道へと導いたのですが、
その思想を取り入れた垂加神道が導いた場所は
果たして、最良だと言えるでしょうか。
☞
形こそ変われど、こういった流れは
イデオロギー不在の社会ではよく起こります。
特に現代のように多様な思想が主義主張を
している時は、正解や拠り所を「外部へ」求めてしまいがちです。
しかしかながら、正しい道は自分で作り、
自分の足を使って歩くもの。
法がなくとも、ドグマがなくとも、自らの意思と
自己規制さえ確立していれば、違う道へ
進むことはありません。
迷い、違った道に向かったとしても、
「見抜く力」があれば、すぐに引き返すことができる。
「敬えど、頼らず」。
この姿勢が大事ですね。
本来の中国儒学(朱子学)は
国を管理する官僚たちの正当化観念であって、
普遍的思想と呼べるものではありませんが、
偏った思想は真逆へ向かうもの。
資本主義はスピリチュアルの呼び水であり、
多様な社会はスパッと言い切る独裁主義を期待してしまいがちです。
もちろん規模が小さいものであれば何の
問題もなく自己責任の枠内で済むのでしょうが、
利口なバカが極端な思想を手にすると弾みがつく。
また、その利口さによって大きなバカの渦を生み出すこともある。
特に現状が閉塞している時はアンチや
逆張りの思想が最大の効果を発揮するのは
今も昔も変わりません。
垂加思想もそう。
幕末には尊皇攘夷から倒幕、そして
明治維新という社会変革の源泉となります。
山本七平は「廃仏毀釈」の原型イデオロギーだと幕末には尊皇攘夷から倒幕、そして
明治維新という社会変革の源泉となります。
言ってますが、それもあるでしょう。
猿田彦大神は最良の道へと導いたのですが、
その思想を取り入れた垂加神道が導いた場所は
果たして、最良だと言えるでしょうか。
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形こそ変われど、こういった流れは
イデオロギー不在の社会ではよく起こります。
特に現代のように多様な思想が主義主張を
している時は、正解や拠り所を「外部へ」求めてしまいがちです。
しかしかながら、正しい道は自分で作り、
自分の足を使って歩くもの。
法がなくとも、ドグマがなくとも、自らの意思と
自己規制さえ確立していれば、違う道へ
進むことはありません。
迷い、違った道に向かったとしても、
「見抜く力」があれば、すぐに引き返すことができる。
「敬えど、頼らず」。
この姿勢が大事ですね。
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