「・・・・・・・ふむ」
「ん、どうしたの?トトロみたいな顔して」
「いやね、物事とは一方向だけでは
わからないものだな、と」
「あー。最近、色々あってるからね」
「しかも本質を飛び越えた情報が
広がっている感もあるから、よけいタチが悪い」
「それで判断すると誤解するね」
「個人から商品から思想まで、あらゆるものが情報化された。
そう考えると、今はレッテルを貼りやすい時代だな」
「食べログもイイネもそうだね、
他人にとってはグッドかもしんないけど
自分からすればバッドかもしれないもん」
「グッドの場合は良いよ。問題は
バッドの評価がずっと残るってことだ。
これはね、とても怖いことだと思うよ」
「意図的に悪く書く人もいるみたいだね」
「小林秀雄は批判には愛が必要だと言ってるが、
今の批判は排他的なものばかりだから」
「一時期、君はすごかったね。
昔のブログとか、記事が殺気立ってる笑」
「陰で批判されたり、間接的に言われると
こっちは何もできないからな」
「いいんじゃないの、離れたわけだし」
☞☞
「あの時代は実際に会って批判してたから、
リスペクトに近い感覚もあっただろうね」
「そう、今のアンチテーゼは一方通行なのだ。
正論っぽく見えたとしても、肝心の相手への関心がない」
「多分、感情抜きで白黒ハッキリさせたいし、
逆に見る側もハッキリしてもらいたいんじゃない?」
「そりゃ単なる情報の奴隷だ。
損得勘定と弁だけが達者になる」
「奴隷はちょっと言い過ぎだよ」
「飲食に限らず、まともな人は他人の付けた
レッテルや評価は気にしない。まず自分の目で確かめる」
レッテルや評価は気にしない。まず自分の目で確かめる」
「そうじゃない人は?」
「それをそのまま鵜呑みにする。
これがいわゆる大衆心理、というものだ」
これがいわゆる大衆心理、というものだ」
「なるほどね」
「ちなみに、職場環境が悪い会社は
こういったレッテルの貼り合いばっかりやってる」
「あーね、確かにおばちゃん化している(笑)」
「ネットで流れてる情報もそうだけど、
他人の評価で分かった気になるなんて、大間違いだよ」
☞☞
「これはね、意外に深い問題なのだ」
「自分がそう思ってるだけじゃない?」
「いーや。なぜなら、我々は何かを頼りにし、
あてにしなければ生きていくことができないからだ」
「何かを信じないと生きれない、ってこと?」
「名誉も、地位も、金もそうだろ。
仮にそれを信じてない人だって、
この自分の体が自分だってことは信じてるはずだ」
「さすがに、その前提がないとヤバイね」
「もし、その前提が崩れたらどうなる?」
「そりゃ、困る」
「そう、まさに苦しみや悩みとは、こういった
信じていたものに裏切られた時に起こるのだ」
「ん、どゆこと?」
「たとえば、病気になるということは
健康だと信じていたのに、そうじゃなくなるってことだ」
「うん」
「人間関係で苦しむのも、正しいと
信じていた価値観が他人によって壊されるからだ」
「アイデンティティを否定する人いるからね」
「裏切られることで信じる対象が分からなくなる、
中には、自分で決定できなくなる人も出てくるだろう」
「まあ、内容によりけりだけどね」
「これが外部に絶対性を求める根幹なのだ」
「裏切らないものを求める心か・・・
でも、誰だってそうじゃないの?」
「そう、しかし世界は矛盾だらけ。
この相反する実在によって、苦しみは消えないのだ」
「確かに、世界だけじゃなくて
僕の内面も矛盾だらけだしね」
「正しいと思って発言していると、ある人から
それを否定される、逆もまたしかり」
「そう考えると、矛盾がない方がおかしいね」
「90点、十人十色、時代や場所によって
信じる対象が異なるということは、矛盾が実相だと言える」
「その矛盾律の中から主体的に
選ぶ自己がないと、死に至る病にかかってしまうんだね」
「主体的実存、キルケゴールか」
「結局自分が「どうするか」が大事だってことでしょ」
「いや、そこから先がある」
「何?」
「それが長くなるし、まとまらないんだな・・・」
「じゃあ、いつもの感じで」
「いや、このテーマは次回じゃなくて、
またいつか」
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