2015/07/10

対話編 ~自由自在②~





「さー、前回の続きでも・・・って。ん?」





「私の中のゴーストが囁いている」






「・・・・・・・はい?」





「世の中に不満があるなら自分を変えろ
それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ!」





「なっ、何ですかいきなり!?
うわっ、ちょっ。銃とか向けないで!」





「・・・・攻殻機動隊の映画、見た?」






「。。。。。。見てません」






「いやー、実はこの間一人で観に行ってね。
一人で行ったのは、ゲド戦記以来だわ」







「あの。。。。。前回の続き、お願いできますか?」






「ゆだねてみるわ、ゴーストの囁きに」






「・・・・・(くそオタクめ)」











「自由と身勝手な自我中心が違う理由は
以前書いたから、もういいよね」





「自我中心だと世間の共存はない。
反対の意見をすべて拒絶し、
イエスマンだけと繋がる不寛容な宗教になる可能性がある」





「ビンゴ。
じゃあ、これが逆ならどうだ?」





「逆に他者(場所)中心は外部命令形である
「べき、すべからず」。この世間のルールによって、
本来の心と体がチグハグになってしまう」




「そう、それは単に向きが変わっただけで同じこと。
本来はどっちも正しく、どっちも間違っている。」




「加減って、統合した状態の維持だから
書き言葉にすると、難しいね~」




「このブログは自分を貫きながら、
他者と繋がることを書いてるんだけど」




「うん、すんごい矛盾してる。
でも、それが「和して同ぜず」って言いたいんでしょ」




「西田幾多郎氏を見るとその葛藤が分かるな。
~であり、且つでもあり、且つでもある~の連続だ」




「言葉にした時点で、意味が割れちゃうからね。
第一人称だけで書くと、どうしても・・ね」




「だからこうやって対話式にしている。
対話だと、自然に裏もひっくり返せるからね」




「だからソクラテスは対話以外しなくて、
弟子のプラトンは対話形式で書いたんだ」




「そう、ソクラテスは一方的に書いても伝わらないと
分かってたから、何も残さなかったんだ。
プラトンはそれが我慢できなかったんだろう」



「君がマニュアルではなく対話が必要だと
言ってるのも、これが理由だよね」




「対話は弁証による消去法にも使えるからね。
テーゼとアンチで揺り戻しながら、ロバストが生まれる」




「志向性、弥栄モデルだ」





☞☞




「ともあれ、加減さえ理解すれば自在なのだ。
矛盾の自己同一、離の境地。それが自己中心」




「急にまとめようとして・・・・メンドクサくなったな」




「これは風見鶏的な、八方美人の立場ではない
この違いが分からないと、禅は曖昧な思想になり、
親鸞は肉を食い、結婚した生臭坊主だと勘違いしてしまう」




「君は大衆を嫌ってるんじゃなくて、
極端に捉えたり、強要したりする心理を避けてるんだね」




「そ。彼らの自由や正義は時代によって
薬になるけれど、毒にもなるからね」




「自由と正義っていう、毒か・・・」




「アメリカはこれが分からないのだ。
他人にシェアするだけでなく、強要する」




 「自由は責任を意味する。
だから、多くの人間が自由を恐れる・・・か」



 「おっ、バーナード・ショウか。
まあ、そこまで恐れる必要はないけどね」




 「お互い様の寛容の精神があれば」




「いいね、90点。大体はそれで片が付く」




「拒絶しているものを受け入れようとするなんて、
まるで免疫系みたいだね」




「95点。というか対話にすると話が逸れ逸れだな」




「毎度のことでしょ。それにもう慣れたよ」




「もうちょっと話してよい?」





「じゃあ、次回ね」







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