こんにちわ、坂口です(゜゜)
そろそろ蛍の季節ですが、
さすがに花火と違い、一人ではいけませんな(笑)
ということで、来月から始まる
祭りラッシュを楽しみに、仕事を頑張ってます。
あっ、仕事終わりのビールもそうだった。
(と言いながら、飲みながらこれ書いてますけどね)
お疲れ様~
さて、unreveの日本流事業継承は
事業を持続させるための、いち方法論なんですが、
誰かのビジネスに対して、
「自分が作ったものではない」という理由から
抵抗がある人もいるかと思います。
どうせ独立するなら、じぶんが作った
独自のものを!ってね。
僕自身そういったタチなんですが、
僕の事業の場合この「じぶんが!」という主体と
「継承」という客体の折り合いが必要でして、
そのため、簡単に影響される半面、頑なに拒絶もする
一貫性のない「じぶん」を理解しなければいけませんでした。
unreveでは、そんな自我(エゴ)と自己(セルフ)を
明確に区別しているんですが、こういった背景があるんですね。
それは「自らを分ける」という意味である
「自分」という文字にもつながるんですが、
ここらへんの詳細はデカルトさんに
お任せして、次に進みましょう(笑)
☞☞☞
unreveではこの主体を
「ある主体」ではなく、「成る主体」と言っています。
例えば会話の際、「僕は」こう思うだの、
「私は」これが良いと思うなど、
いちいち主語を入れませんよね。
「この案とか良いんじゃない?」
「そうなると、こんな感じで進むのかな」
「あっ、ちょっと待って。こっちの方は?」
「うーん、それはどうかなぁ」
「私は」これが良いと思うなど、
いちいち主語を入れませんよね。
「この案とか良いんじゃない?」
「そうなると、こんな感じで進むのかな」
「あっ、ちょっと待って。こっちの方は?」
「うーん、それはどうかなぁ」
多分、こんな感じじゃないでしょうか。
このように、対話の場においては
主体(第一人称)優先ではなくなるんです。
一人称優先はディベート(討論)です。
ここが日本流の重要なポイント。
自分(部分)より場(全体)を重視しているということ。
手前、自分、己、僕、私、俺などなど、
日本はたくさんの「わたし(第一人称)」がありますが、
第一人称を二人称にも三人称にも
使えるようにした結果ではないでしょうか。
なぜなら、場というものは初めから
存在しているのではなく、作られる(成る)ものですから。
☞☞☞
本来、対話や場というものは、
個人の主義思想の優劣を決めるのではなく、
場にいる相手との協創が目的です。
逆に言えば場というものは、様々な
客体の寄せ集めの結果でもあるんです。
私と言わない地点に到達するのではなく、
私と言うか言わないかが、もはやまったく重要でないような地点に到達することだ。
これはドゥルーズの「千のプラトー」にある
一説ですが、自己中心とはまさにこの地点のことであって、
対話による共創は、「自分」を超えている。
だからこそ、その場は勢いや熱を持ちます。
理念や志向性や決定者が不在であれば、
それは単なるグダグダの会議なんですが、
明確な理想があれば、そこにキャッチアップする
勢いはダントツに優れているんです。
☞☞
これは集団ではなく個人でも
同じことが言えます。
(厳密にいえば差異があるけれど)
たとえば、僕の目指しているものは
今まで縦横無尽に読み漁った本の中から
「なぜか好きだったもの」が繋がり、編集されることで
作られているわけでしょう。
そうなると「自分の独自性」とは結局のところ、
今までの経験が集まってできた「結果」なわけです。
そしてその経験は曖昧な「感情」によって
無作為に選んでいる。
まさに確固たる「思想」が
最初に存在しない、証明でもあります。
理性と感性の違いは「ある」と「成る」の違いなんですね。
☞
話がちょっと複雑になってきましたが、
ベルグソンの「持続」とは、そういった過去の
経験を常に取り入れながら進む「さま」のことです。
つまり過去の経験や記憶によって
今の「じぶん」が支えられている。
よく「過去は過去、忘れてしまおう」といいますが、
我々はそれをベースにして今を生き、成長する以上、
消えたり無くなったりするものではない。
逆にそれがなくては、
どこに進むかすら、わかりません。
今の「じぶん」が過去を見ているのではなく、
過去が今の「じぶん」を見ているんですからね。
そしてその過去というものは
それまでの経験の寄せ集めである以上、
始まりも終わりもありません。
それだけが一貫して持続している、と。
これを純粋持続と呼びます。
精神も宇宙もそのようなものだと言うのが
ベルグソンの哲学の根幹にあるんですね。
ちなみに、遷宮の常若もそんな概念でしょう。
僕はそれをフランチャイズに応用しています。
さて、「わたし!」と叫んでいる私とは、
いったい、何を指すのでしょう。
この不思議さを知ると、宗教や
スピリチュアルの誤りがわかりますよ(笑)
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