2015/06/17
理念とパワー
坂口です(゜゜)
今日はちょっとお堅い口調のお堅い記事で。
理念に興味がある方だけ、どうぞ。
マンデラ氏の記事はこちら
理念とは何か。
それは端的にいえば思想であり、意思である。
これに異論はないだろう。
その思想が空想と完全に異なるのは、
そこに「力」があるかないか、その違いだといえる。
その力だけは自分で得るしか方法はない。
自分で考えているつもりで、その実、
何も考えていない大衆に対し、ニーチェは畜群と呼んだ。
なるほど、
自分で考え、判断し、責任を負うことを
放棄した人間(近代)を罵ったわけだ。
著書「力への意思」は、そんな彼の
思想の根幹である。
☞☞
行動の原理となっているものは見えない力、
終わりなき永劫回帰の中、向かう志向性が「力」である。
そんな見えない意思の強弱は計測できない。
腕力や握力などと違い、精神は数字では出せない。
だが、我々は他者の意思の力を「感じる」ことはできる。
例えば政治家は大声でマニフェストを声明するが
我々は「何も感じない」のは何故か。
まさに、そこには意思の力が欠落しているのだ。
意思の力は固定・断定的にはならない。
姿のない「それ」が狙いを定め、事挙げするのが理念であるが、
本来はそれを否定することで現れる。
なぜなら、理念の本質は「パワー」だから。
そして、その力と情熱の働きが「態度」として、ようやく姿を現すのだ。
継続は力への意識による態度か。
言わずもがな、そうである。
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現在の理論や体系を打破し、新たなる
ものへ向かおうとする態度は、現実との決別でもある。
現在ある理論や通念、権力。
なんでもいいのだが、現在あるものを超克しようと
試みる態度に力は宿っている。
結果、現実の実生活とは必然的に逸脱する。
理念が慣れ親しんだ現実を否定する以上、当然だろう。
企業理念は、現実をうまく渡るための処世術でもなく、
現状の分析や改善でもなく、強迫観念でもなく、
小説家がいうような、何の役にも立たないものでもない。
では何か。
ここから先は本人にしか、わからない。
「後記」
unreveは日本流の理念を
守破離によって定義している。
一見、伝統継承と現在の理論体系の打破は
矛盾しているようだが、そうではない。
繰り返しになるのだが、
守破離は部分だけでは意味がない。
一連の流れによって初めて型となるのだ。
「守」は先人の教えを学ぶ時期だが、
それは、新らしいものを生み出すための「元」である。
「元」の徹底次第によって破のあり方が決定する。
劣化コピーとなるか、二番煎じとなるか、
それとも、継承による創造(オマージュ)となるか。
ここに、自分を否定することで現れる
「ありのまま」の本来があるのだ。
この原理は、ニーチェの言う精神の三態、
ラクダ(盲信)から獅子(脱却)、そして子供(創造)という段階と同義でもある。
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