2015/05/29

サステナビリティには型がある。





多様性に伴い、「自分らしさ」が重視されている。
これは同時にオリジナリティの創出でもあるだろう。





しかし、オリジナリティや独自性とは、
これまでなかったものや斬新なアイデアを出したり、
奇抜性を狙うものではない。




そもそもオリジナリティとは今あるものから、作られるのだ。



そこからの「自己概念のフォーマット化」、
一つの「型」として確立しているか否かである。




例えばピカソの作品は一目でわかるくらい
独特なものであるが、



当初は、青の時代のような描き方であって、
そこからセザンヌの画法を取り入れている




それは単なるコピーではなく、
主語は常に自分だった。



つまりピカソのキュビズムは
様々な作品の編集によって、
一つの「スタイル」を生み出したと言えるだろう。




今日はそんな「型の習得」。
練成講座の一部のご紹介です。








さて、芸術家アーティストはこの型である
「らしさ」や「っぽさ」を作るために生涯努力している。



ビジネスではこれを「ブランド」と呼び、
文学や哲学ではこれを「思想」と呼ぶ。




これが実に難しい。




誰だかは忘れたが、9割9分の人間が
この「型」を作れないまま、生涯を終えている。と言っていた。




なるほど、
現在、生き残っている思想やブランドの
数の少なさから、その確立が困難であるのは間違いない。



それは一番最初に持っている自分の「種」を
どこまでも見つめ、肯定していくことの困難さでもある。



生涯の思想は処女作に向かって成熟する。
本質的にそこに「すべてがある」のだ。



例えば、マルクスの思想体系の全てが二十代の
「ヘーゲル法哲学批判」を発表した時期あったように。




☞ ☞



さて、もうひとつの型に「パターン」がある。
世阿弥の「序破急」、茶道などの「守破離」、



身近な例でいえば「起承転結」。
これらはパターン(拍子)そのものを型としている。
(ちなみに対話も一つのパターンである)



僕は「守破離」を模倣して、そこから
リーフリゾーム、やり方と在り方である全体観、
といった統合(調和)を型としているのだが、




その理由は簡単、本部にはすでに
「らしさの型」があるので、
加盟店は「パターンの型」を覚えれば、
「らしさの型」を崩さずに独自性を出せるのだ。





加盟店が型を作るのはまだ先のこと、
自分なりの哲学が必要となる以上、
現実の経営が追いつかない。





だからといって作らないままだと、
今度は逆に「型にはまってしまう」。
だからこそ「守破離」の順序が必要だ。




今のフランチャイズはビジネスの
目に見える「作業」をフォーマット化し、
マニュアル化にしているが、これがそもそもの間違いである。



本来のFCのフォーマット化は型の創出、
つまりブランドとして成立する「らしさ」を
いかに共有させるかであって、



決して作業オペレーションの精度ではない。
だからこそ「対話」が必要となるのだ。



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ピカソの絵にはピカソらしさがあり、
シャネルのバッグにはシャネルらしさがある。



小林秀雄の小林秀雄らしさ、
サザンの音楽のサザンさしさ、
ジブリアニメのジブリらしさ、だ。
(宮崎駿氏の場合)



そんな型を持つアーティストの作品は
奇抜な作品を生みだとしても、一貫性がある。



だからその度、我々は新しい側面に
魅せられるのだろう。





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