2015/05/17

日記のようなもの




守り、型に着き、破り、型へ出て、
離れ、型を生む





日本流の様式、言わば我々の行為の
根幹であるのが、この守破離の思想です。



見れば、「型」の意味を理解していないけれど、
共有されているものはたくさんあります。



例えば我々が神社に参拝する際、
「二礼二拍一礼」という「型」に従ってますよね。



そんな型と「形式」は似てて異なるもの。



基本的な動作である「形」が洗練・完成した結果、
持続可能な模倣性を持ったもの、それが型です。



だから芸道の型は一種の美があり、
武道などでは安定性や機能性を持っているんですね。



心技体の統合知ですから、
必ずそこには意義や本質があるのです。



☞ ☞




「型」はセンスに近いものがあります。



ひとたび会得すれば、
別の形としても表現することができますし、



仮に「型にない」想定外の状況が起こっても
臨機応変に対応できるということです。



そんなセンス・勘・コツなどは
自らの経験によって磨かれるもの、



今のマニュアルは「技術」だけを
特化し、肝心の「心」や「経験」が抜け落ちていますが、
本来は一つで考えなくてはいけない。



さらに言えば、表層的な「技術」ではなく、
もっと深い所の技術を磨く必要もあるでしょう。



ただ、変化が激しく、お金がないと生きていけない
現代で、この型を身に付けるのは非常に困難です。



例えば、伝統工芸や芸道の世界では、
10年以上の実務経験年数がないと
一人前とは言えません。




つまり自分で独立して稼ぐようになるには
最低でも10年はかかるという事。



一流のプロフェッショナルになる為に
必要な時間は約10000時間と言われてますが、



毎日3時間取り組むとして、約10年。



これを続けられる人は一握りです。



☞ ☞



なぜなら多くがそれを待つことができない、
基礎である「守」が我慢できない。



だから一生を費やしても実現したい、
大成させたいと願っている 「こと」を決められないのです。



卵が先か、鶏が先かのような話ですが、
これも今が「型なし」の時代だからでしょう。




元がなければ子が生まれる道理はない。



「元も子もない」多様が単なる野放図だと
言われる理由がここにあります。







と言うわけでunreveは芸道と商人道を融合した
和混継承の道をひとつの「型」としているんですが、




今の資本主義の中、
果たして出来るものかねえ・・・・・。





日々迷いながら、作るしかないです。








0 件のコメント:

コメントを投稿