2015/03/29
調律されたピアノ
深化と拡大という、質と量に
手を加える行為を見れば、
磨くと増やすという、相反する関係になってるようですが、
僕はこの増えるものに対して、
幾分か飽きが速くなったように感じます。
新しく建った駅ビル、オシャレな店舗、
シンボリックな巨大施設、etc
無論、そこに目新しさはあるけれど、
長期的な鑑賞には耐えることができません。
一度回れば、十分だという所もあります。
その証拠に、どこもかしこも次々と
「新しさ」を必要としているわけでしょう。
まさにその対象には奥行きがないわけだ。
反面、自然派生や深化したものはそうじゃない。
芸術的な建築は、そこを目指したように思います。
我々だってそうですよ、そんな毎日毎日
目新しいことなんてできっこない。
故にこれからのビジネスは
深化した「ヒト」へ向かい、そこから作られた
「モノ」によって円環はいったん閉じられる。
そんな気がします。
春に飽きる人なんて、いないように
そんな自然派生には趣があり、味があり、
情緒があります。商売も然り。
もちろん、我々はそのどちらを選んでも良い。
要はその時々の具合に応じるわけでしょうが、
営為においてはそうじゃないでしょう。
芸人よろしく、僕という人間性に
飽きられるのが一番怖いですわな。
☞ ☞
現在、まるで発作的に情報やスキルを
身に付けようとしている人がいますが、
それは「増やす」という行為であって、
さらに増やしているものを見れば問いではない。
それは予め答えが用意されたものを、
ただ「探している」状態であって、
探しているうちは思考なんて働きません。
逆を言えば、思考が働かなくなっているからこそ、
明確な答えを出す教祖がこれだけ増えたのでしょう。
☞ ☞
個人的に、我々の生物学的構造は
ある意味「完成」されていると思ってます。
例えるなら、生まれた時から
すでに完全に調律されたピアノのようなもの。
そこに「進化」というものは必要ない。
逆に下手にいじくり回せば、音階自体が壊れてしまう。
我々はピアノを改造するのではなく
「ピアニスト」として、表現するだけで良い。
そんな内部表現が真の個性であり、
独自性だと思うんですね。
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