白と黒が折り重なるように、
ミクロとマクロが同じ環の中にあるように
同時に考えなくてはいけない時代です。
つまりこの転換の先にあるもの、
今回一刀両断する「その先」とは、統合の入り口です。
柔軟な関節と強固な骨、その矛盾したものを
どこまで内部最適に保てるか。
花伝書のクライマックス「急」、
ビジネスでFC化を考えている方や
理念の意味を知りたい方は必見です。
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これまでの我々はこうであった、
これからの我々はこうなるであろう、
なぜなら「これこれ」と言われているから。
日本の知識人はこの手の命題を語るばかりであって、
その先を提示すれば、批判される空気があります。
「ではこれからの我々はどうあるべきか?」
といったイシューになると、途端に口を閉ざしてしまうのです。
あるべきヴィジョン、あるべき姿。
こういった一歩踏み込んだメッセージを発信するとなると、
反射的に思考停止に陥ってしまう。
なぜでしょう。
その理由は、「破」に記載した精神性によるもの。
つまり自前の経験によって自前の言葉で作られた、
自前の思想で語る経験が少ない。
なぜ自前の思想でやっていなかったのか?
それは保証する人がどこにもいないから。
口では冒険だ、挑戦だ、独自性だと言いながらも
心の最優先事項は安心、まず前例を求めるのです。
原発問題を始め、あらゆる問題に対し、
必ず、諸外国から「キャッチアップ」する「成功事例」を求めます。
チェーン理論であれば、アメリカが「本場」だ、
サッカーであれば、「ブラジルに学べ」、
これが教育になれば「フィンランドのメソッドを」となります。
これは国内でも同じように、繰り返されています。
では、上記の学ぶ対象自体は
どこの誰から学んだのでしょうか。
もちろん、それは思考錯誤や淘汰の末、
生き残った自前の思想であるのは間違いないのです。
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語ることなく、従属することが常態化した
この国は、相対的優劣性で語ることが常態化されています。
「世界の松阪」や「世界のホンダ」等
当たり前のように使ってますが、本来は異常な事なのです。
「世界のロナウド」や「世界のスターバックス」と、
本国メディアは言わないでしょう、そう言う事です。
これが政治の世界となるともっと酷く、
完全に世界における「順位」でしか見ていません。
学歴順位や、経済ランキングといった相対指標でしか、
自国を語れないのです。
比べ、取り入れ、編集することが悪いのではありません。
問題なのは、それがすべてにおいての「指針」になっている事、
つまり、育て方や編集は誰よりも知っているけれど
肝心のタネを持っていないのです。
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そもそも、物事には順序があって、
本来、一番最初に作るべきものとは、
理想像(ヴィジョン)の確立です、それがないと始まらない。
そこから、思考錯誤による具体性やリスク、
取り決めやルールが作られるのが自然な流れであって、
いきなり具体性(方法)が生まれることはありません。
歴史を見れば、未だかつて誰も実現していない
壮大なもの、不可能なものに挑戦し、多くの人が達成してきたはずです。
故に、原発問題で「廃炉」のビジョンを語るのは
現段階では、未だ現実化していない壮大なヴィジョンであって、
具体的方法なんて、誰も分かりません。
その段階で「廃炉は現実的じゃない」というのも、
「では具体的にどうやるのか」というのも、
当たり前の大前提を武器に、語っているだけ、
部分だけを切り取って批判するのは卑怯です。
大事なのは、まずそれを「打ち出さなくてはいけない」。
しかし、上記批判があるから極端に恐れてるのです、
なぜなら境界線のアイデンティティ重視だから。
この国は方法こそ優れていますが、
肝心の目的(原点)は常に借り物からの派生だった。
よって「私の正しさ」について、語ることができず、
その正しさを実現する精神よりも、「あの人の正しさ」を求めるのです。
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そんなやり方でしか語る事ができないという
慣習や性質に全く気が付いていません。
だから「よし、これから欧米のように発信しよう」とか
「いや、それでは中国のようにはなってしまう」と。
その時点ですでに外部を意識しています。
この無意識的依存心にどれだけ気がつけるか、
これが理念の作り方であり、「らしさ」の創発です。
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内部領域を外部によって確信を持つ慣習により、
下手すれば、理念でさえも他人に作ってもらおうとしますが、
これは真っ赤な嘘、まず信用しない方が良いです。
「御社の理念を作ります」というコンサルがいますが、
理念は絶対に自分にしか分かりません。
当然、その花が咲く保証もありません。
その行為や判断の正しさは後世にしか分からないのです。
しかし、それでもやろうとする無意識的「意志」、
この態度が必要なのです。
この意志は豊かさの代償でもあります。
外部から見れば、それが意固地さに映り、
つい自前ではない「正義」を語りだします。
裏を返せば、自分が帰る原点がない証拠であり、
それを持っている人に対するある種の嫉妬なのです。
それよりも市場を見よ、実績を出せ、と。
それは「軸のない人」の消えない劣等感を
分かりやすいお金や名誉で補完しているだけなのです。
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「そもそも、私は何のためにこの会社を作ったのか」
という、根源的なものを形式化したのが理念です。
よって、企業が困窮した時は、一旦、この理念へ
原点回帰します、言わば憲法のような役割なのです。
定言命法であり、ダルマ。
反面、外部であれば仮言命法やドグマとなります。
unreveがFCに理念がないといけないと伝えているのは
まさにこの絶対命法を生み出す事であり、
その主語(自己中心)があって初めて、
この述語(場所中心)であるこの国は超克できます。
なぜなら、確信が深く内面化することによって
「これが私のビジネスの価値だ」と、スパっと言い切る事で、
「これが世界に提供できる価値なんだ」と、
言い切る事もできるからです。
この国の企業が独自の目的を持ては強いです!
長くなりましたが、以上
花伝書「序破急」、ビジネス篇でした。
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