2015/02/08
薬が毒になるように
毎回書いているのでげっぷ気味とは思いますが、
何事も無意識的に極へ移りやすい性質があります。
もしかすると、テーマに書いたように
薬(最善)が毒(最悪)になるという事実を
今現在、経験しようとしているのかもしれません。
「いい加減な状態」とは何か?
二項を内包し、その間で生きる我々は、
まさにこのバランスこそ目指すものではないか、と。
例えば関係性しかり。
一見、孤独は不幸のようにみえますが、
本当の不幸はコミュニケーションに対する
欲望が満たされない時ではなく、満たされすぎた時でしょう。
なぜなら、それはある種の
不感症さを生みだすのだから。
批判のない集団はあまりにも
「満たされすぎて」やがて不感症にハマる可能性が高い。
逆を言えば「誹謗中傷の裏は評価」なのでそれを真摯に受け止めると
より大きな成果を生み出すことが出来ると思っています。
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起きる現象は天秤そのもの(ゼロ)、
しかし人は感情という重りをどっちかに乗せる。
抑えた誘惑は無意識に残り、
潜在的部分は他者が演じる。
それは「反発」という自然の摂理。
そうして「最善」が「最悪」に向かう、そんな気がしてます。
(ちょど片方に傾きすぎた分だけ逆の「重り」が必要なように)
自我があるから苦しみを生み、
自我があるから自分は生きているのだと実感できる。
右から左への経験が必要なのは「夏があるから冬がわかる」ように
「季節そのもの」を理解する為です。
日本は「春夏秋冬」があるので
特に細かい部分を感じる事ができます。
秋が大好きなのは「ちょうどいい」から。
この「ちょうどいい」を理解する為の
対極の経験ではないでしょうか、
さらに、それはもっと深い所にある「自己中心」の
理解の為だと思うんですが、
長くなるので今日はこのへんで。
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