2015/02/08

道徳なき経済と経済なき道徳

そもそも「経営」の語源は仏教から来ています。

みなさん、知ってましたか^^?





そして経済の正式名称は経世済民(けいせいさいみん)と言います。

さて、これはどういった意味なのでしょう?




まずこの「経」とは、お経(おきょう)の事であり、

人々を救う真理の言葉で「治める」ことを指します。



そして済は「救う」を意味します。

つまり経済を正式に訳せば、「真理で世を治め民を救う」という意味なんですね。




その真理はもちろんお金じゃありません。

普遍で変わらない真理を言葉に乗せ伝える、と言う事です。





経営とは、普遍を現しているお経を編纂することが本来の意味であり、

事業とは仏が成す仕事を表わします。



さて、孔子やソクラテスのような哲学書や

キリストや仏陀についての本は現在たくさんありますが、





今知られているのは本人の著作じゃありません。

訳した本人の主観が含まれた個人思考が多いのです。




結果本人が言っていない言葉が

「成功者の教え」として、都合よく解釈されています。




例えば銅像で有名な二宮金次郎(公人では二宮尊徳)

が書いたとされる二宮翁夜話に、




道徳なき経済は犯罪であり、

経済なき道徳は寝言である





というものがありますが、実はこの言葉、原書には一切載っていません。




これは日本経営合理化協会出版局が翻訳したのですが、

翻訳機関のその名の通り、経営者に向けた組織が翻訳したのです。





まるで野口秀雄が「アイラブユー」を「月が綺麗ですね」と

訳したように、個人の価値観が入ってしまったのです。




ここが出版されている書籍、関わっている企業を調べてみましょう。

どんなものなのか、判断できるでしょう。




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経済の本当の意味を考えた際、

その課題とは、限りある資源を社会の隅々にまで最適に配分することです。




つまり経済の目的は格差ではなく、

分け合う事による「総中流」のすすめなのです。




それを社会主義ではなく、経済で統治させること。

これがあるべき姿なのです。




金持ちを増やすのではなく、貧乏を増やすのでもない。

清貧の教えがそこにはあるのです。




清貧の「貧」という言葉は「貝を分ける」と書きますよね、

つまり、昔の交換通貨であった「貝殻」を人数で分けるのが語源です。




経済は清貧を教え、

分け合い、分配する為の思想が人々を救う真理を広める活動です。





経営理念が必要だの、儲からない事業は寝ごとだのとは

一切言っていないのです。




正しいフランチャイズを実践し広げることは

そういった意味での経済だと思っています。



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