2012/01/05
おかげ様、お互い様
「一即一切、一切即一」と言うものがあります。
それは全てが独立して存在しているのではなく
見えないものの「相互作用」によって生まれている、ということ。
個人主義が今の時代、ひとり歩きしていますが、
「全部、自分一人の意志で生きている」わけではありません。
例えば、あなたが地元でカフェをしているとしましょう。
開業3年目、常連さんも増えてきました。
そこで一人のお客さんが来ます。
どうやら初めての様子、
そのお客さんはスーツ姿、会社員のようです。
注文を聞くとアイスコーヒーを頼みました。
外は炎天下、真夏日です。お客さんは
おしぼりで汗を拭きながら、電話しています。
話している言葉は方言なまり、
どうやら出張でこちらに来ている様子。
電話を切ったお客さんはカバンから
手帳を取り出しながら、時間を見ています。
「わかりました、ではここでお待ちしてます」
どうやら、ここを待ち合わせ場所に使うようです。
☞☞
さて、一応この段階くらいにして、
ここからちょっと考察してみましょう。
まず、頭の中でもかまいませんから、
適当にこの辺が売上に「関係ある」と思う所と
売上に「関係ない」ところの「境界線」の部分をイメージしてみて下さい。
問題は正解うんぬんではなく、
どこからどこまでを境界線とするか、です。
境界線のラインは引けましたか?
では、その境界線の内側が売上と「関係ある」で、
外側は「関係ない」ではないということになりますよね。
では、自分の頭の中で、「関係ある」の外側にある
「関係ないもの」を全部取り去って、「完全に無の状態」にしてみて下さい。
例えば、電話もありません。炎天下でもない。
出張でもなく、その他一切のもの(条件)がない、とします。
どうですか?
そこに「アイスコーヒー」というものは「存在」できますか?
当然、それは成立しなくなって、消えてしまいますよね。
では、今度は、取り去ったものを一つずつ、
適当でいいですから、加えて元に戻してみて下さい。
なにか欠けている状態でも成立しますか?
成立しませんよね。
つまり、単体だけを加えたとしても
その「アイスコーヒー」は存在しないのです。
☞☞
あなたの頭の中で想定した内側と外側は
「複雑に入り組んでいた」のではありませんか?
そして、その「入り組み方」というものは、
無限に変化している(可能性があった)と言えませんか?
待ち合わせの相手のお腹が空いてたら
違う場所になってたでしょうし、
炎天下でなければ店に入らなかったかもしれません。
つまり、無限ともえいえる複雑構造によって、
「アイスコーヒーの売り上げ」は存在しているのです。
それだけではありません。
その提供したアイスコーヒー一杯にしても
たくさんの見えない人達が絡んでいます。
コーヒー豆を作る人、パッケージする人、
コップを作る人、それを販売する人・・・・
たった一つの出来事でも、このような条件が
無数に組み合わさって生成されている。
世の中に当たり前、というものは存在しないんですね。
これが「一即一切、一切即一」で、
そこから派生したのが、おかげ様、お互い様、と言う事です。
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