何だか世間が忙しい。
まるで通勤ラッシュ時の
プラットフォームにいるかのようです。
閉塞感、焦燥感、切迫感。
これはこの国だけに限った話じゃない。
たとえば、アメリカの人達は
少なくとも、人生で10回は転職するだろう、
と言われています。
この流れがこの国に入るか否かは
なんとも言えないのですが、
少なくとも、企業寿命はどんどん
短くなるだろうと予測しています。
安心の担保はどこにもない、と。
そんな時代を生き抜くため、
各自が新しいスキルを学んだり、
副業を始めたりしています。
ノマド的な起業に憧れる若者も増えました。
定住せず、自由な環境に身を置くことで、
最終的には、自由な人生を手に入れたい,、と。
なるほど、「社畜」ってスラングが
定着するわけです。
自分のやりたいようにやる自由かぁ。。。
ただ、自由って、そんな意味だったっけ。
☞ ☞
もし、あなたが自由にやる権利を
貰えたとした場合、
果して、本当に自由に
振る舞うことはできるのでしょうか。
多分、多くが首をかしげてしまう。
そうではありませんか。
逆にそうなれば、中国の大気汚染も、
原発も、特定秘密も、ヘイトススピーチも
自由の結果です。
「そんな自由、間違ってるだろ」
と思うでしょう、
では、正しい自由とは一体何か。
これが定義され、共有されないと、
そこは単なる弱肉強食の世界にすぎない。
嫌だったら自由にブロックできるのは、
ネットだけの話でしょう。
☞ ☞
現在、自由がひとり歩きしていますが、
本来は、集団逃避による自由じゃなく、
共同体にいても手に入る自由が望ましい。
心の欲するところに従えども矩を喩えず。
矩とは正道であり枠なわけです。
自由な枠は、個人と世間で作り広げるもの。
チームワークだって、同じ事です。
例えば、サッカーの例でいえば、
中田と本田、それぞれが優秀な能力を持ってます。
ビジネス的に言えば、彼ら自体が資本であり、
代替不可能な独自性を持っていて
その資本は環境が変わっても通用する。
だから、彼らは自由に移籍ができる。
しかし、中田のパスを本田が決めた場合、
これはどうでしょうか。
自分の能力であっても、自分では
所有してない(できない)ものですよね。
☞ ☞
このように、他者と関係で成り立つ
場の形成は、代替可能な業務であっても、
代替は不可能になります。
マニュアルが伝えられない部分は
まさにここなんです。
自己組織化によるポジティブフィードバック
これが場の形成の最大のメリット。
常にメンバーが入れ替わるような
短期的なプロジェクト・チームでは
この効果は期待できないでしょう。
流動化しながら固定する素材が生まれる、
ん・・・これ以上は説明できませんな
適切な言葉が見つからない(笑)
☞ ☞
個人の定義を全体への否定とするならば、
それはとても寂しいものになってしまう。
アルフォンソ・リンギスではないけれど、
何も共有していない共同体はコムニタス に過ぎない。
それは傷つきやすく、脆いもの。
自己完結の世界は自由じゃありません。
与える、受ける、返すことで、
人間は存在する為の仕方を問う。
まさにドゥルーズの説く反復であり、
差異であり、贈与なのでしょう。
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