2015/02/08
質問は闇の中で
前回書いた儒学者、伊藤仁斎の長男である伊藤東涯氏は、
仁斎氏と同じく人に教える事を生業としました。
名物六帖や古今学変、弁疑録といった著書を世に送り出し、
教えていたのはそれぞれ身分の違う「武士」・「公家」・「町人」でした。
当時、生活が楽ではなかった東涯氏。
教える際には「私の講義は油が尽きるまで行います」と言ってたそうです。
その後にこう付け加えています。
「・・・・そして質問は油が尽きた後、闇の中で行って下さい」。
皆さんどう思われますか^^?
一見生活が苦しい為、火を灯す油代が買えなかった為と思うでしょう。
しかし東涯氏の本心は違った所にあったんですね。
当時、学ぶ人の中で身分や職業の優越感から
「自分は上座に座るのが当然だ」と思っていた人が多く、
特に公家にはそういった意識が
とても強かったと言います。
ただ、東涯氏は特別扱いはしなかった。
身分・職業関係なく、先着順に座らせたのです。
そうやって油の尽きるまで、講義を続けた東涯氏、
一つの理念、教える側の姿勢とも言うべきでしょう。
中途半端な時間で終了し、「それでは質問を」という
自分の姿は手を抜いているとも感じたんでしょうね。
東涯氏の良心がよく表れています^^
☞ ☞
さて、こういった配慮をしたのには理由があります。
想像すると簡単です。
身分格差、差別のある場所で質問タイム、
どうなるでしょう?
そう、火の灯る明るい場所では町人が質問をした場合、
「おいおい、あんなヤツがおかしな質問してるぞ」と。
公家の人間は見下してしまうんですね。
そうなると本当に知りたい事があっても、
そんな侮辱や蔑みがあると思って口に出せないじゃないですか。
さらに質問しようという「気持ち」さえ失ってしまう。
これを一番東涯氏は心配されたんですね。
どんな質問でも決して恥ずかしい事ではなく、
むしろ知識意欲の表れです。
そんな具合で「質問は闇の中で」というのは、
「身分が低くても、稚拙な質問でも堂々と言える場」を作ったんですね。
当然通っている人には暗闇の中でも誰なのかは分かるでしょう。
それを東涯氏自信も「分かっているぞ」、という「にらみをきかす」事で
「たとえ暗くてもバカな質問を続ければ笑われる」とも思わせ、
逆に明るい場所ではより集中して聞くようになったと言います。
2重の意味がある「闇の中での質問」。
闇はあくまでも形式上の仕組みで本質は違う所にあった。
うーん、流石です^^
しかし闇になるまで(油が尽きるまで)講義を続けるって
結構大変な事だと思います。
これってまさに日本人の美徳である「心配り」ではないでしょうか?
質問をする事や質問の時間は平等なだけで、公平ではありません。
これをさらに身分の差を無くす仕組みを作る事で「公平」にしてます。
平等と公平は似てて非なるものですね^^
もし将来セミナーをするならこれで行きますわ(笑)
ではでは。
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