2012/09/11

多様の妙

日本流FC、場の理論について。







古来、市場は「市庭」が語源であり、
以前の場は「庭」と書いていました。




道と道が交差するのを「辻」とも言い、
市場は、どちらのものでもない辻でも行われたのです。



それは隙間であり、空間であり誰もものでもないもの。
しかしその無である「空間」が有を作るのでしょう。




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ちなみに脳内で情報を伝達するニューロン同士も
繋がっているのではなく、そこには「隙間」があります。




それをシナプス間隙といい、隙間を超えて
伝達する物質を神経伝達物質と言います。



つまりそこでも「辻」や「庭」のように
交流が行わているんですね。







それによって伝わり方は微妙に変換される、と。



これは、我々がそれぞれ異なる感覚や思考を
持ってしまう理由でもあるのですが、



そんな2つの自己は協調的な働きによって、
整合性を持つのです。



なるほど、両極の自己の中心が
それぞれを中心として成立・整合するように
誘導し合うということでしょう。



行ってみれば、それは
「二つの視点による中心の創造」です。



それぞれが中心でありながらも、それが軸として働き
互いに誘導され、影響を受け、



結果、どちらもが自立と自律に働く、と。
交差によって「相互自立依存」が成立するのです。



これは海で例えるなら、
海面と深海の違いでもありますね。
海面も深海も一つの海を形成しています。



波しぶきを見て「これが海だ」とは言えないし、
深海を見て「これが海だ」とも言えませんよね。




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そんな異なる自己を中心(自律的に)決める。
これが場の形成です。



しかし近代的自意識では、まず
「自分」というものが存在していて、
その「自分」が、何それをする(している)と
考えるのですが、そうではない。




他者だけでなく、自他の「間」による
交流によって、我々は自ずと変化している。





不思議ですが、
多分に我々とはそういう存在なのでしょう。



1 件のコメント:

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    色々見ていたら辿り着きました☆彡個人的に何か応援したくなりましたのでコメを書いていきます(*´ω`)次回も見に来ますね!私のブログもよかったら見てくださいね☆頑張ってくださいね!では~(=゚ω゚)ノ

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