2026/02/04

人が集まると。


赤信号、みんなで渡ればなんとやら。


私の永遠のテーマでもある共同体。良くも悪くも1+1=2みたいに合理的、均質的にならないことにゲンナリしま興味があるのでしょう。




プラトンの国家から始まりルソーの社会契約論にホッブスのリヴァイアサン、カントの定言命法…。組織(社会)論は建前論で終わり、現実では通用しない。ハンナ・アーレントのテーブルの上では、座って飯食ってる人がいる。多分にそれは集まることでしか出てこない本能が理性では抑えられないからかも知れませんね。



人は集まると自然発生的にポジショニングを取ろうとする。「人に認められたい、上の立場にいたい」承認欲求の高い人、危険の及ばない集団に属して「安心したい」人や「嫌われたくない」と波風立てない防衛本能が高い人。嫌われても良いから自分らしくいたいって人。これも一種の自己防衛本能ですね。コインの裏表。



これら本能(思惑)が混ざり合ったのが社会である以上、構造的にヒエラルキー(村社会)になっちゃう。小林秀雄は政治が取り扱うのは常に集団の価値だと言ってましたが、そりゃそうです。そう考えるとリヴァイアサンの最適解はAIかも笑


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空気は村社会なのに自我は強化される二重(多層)構造。日本ならではの2本立て?これが閉塞感の正体かも。自意識は薄くなっているのではなく、内に潜ってるのかもしれませんね。



だからイジメをするな、パワハラはダメなどの定言命法ではより陰湿で、手の込んだものへ向かってしまう。実際、すでにそうなってるんじゃないかしらん。








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