ジュリアス・シーザーに登場するアントニーの
扇動の本質は現代でも十分に通用しますね。
ブログでも度々登場する山本七平は著書において
彼の演説を引き合いにし、扇動とは編集と誘導、
そして一体感であると定義しました。例えば
戦時中の日本軍は分かりやすい「命令」を下さず、
まるでアントニーのような無言の命令(扇動)であった、と言います。
扇動されている人の中に扇動者はいない以上、
(扇動)する側の論理もわからず実体もつかめない。
暴動だって「結果」であって「原因」ではないんです。
(もちろん全てに扇動者がいるとは言えませんが)
アントニーは煽動された群衆を見てこう言います。
゙動き出したな・・・あとはお前の気まかせだ゙と。
戦時中、特攻隊員たちに上司は
「これは命令ではない。お前たちの
志願だ」と言ってました。そして現在、
禁止ではなく自粛です、命令ではなく要請ですと言ってます。
つまり今の我々の行動はすべて志願で
あって、国にはなんの責任もない、と。
個人的にアントニーがどこかに隠れてる気がしますよ(笑)
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