この間、チビを連れてホタルを見に
行ってきました。ネットで調べたら
うちから30分くらいのところに穴場スポットが
あったんですわ。
長く住んでても知らない場所ってあるんですね。
あたりが暗くなるにつれ、小さな光が
チラホラと。「あっ、光った!」と
子供たちは嬉しそうに見上げてました。
ホタルを撮るのはやっぱり難しい。。。
私も久しぶりのホタルをほけーっと
見てたら近くにいたお父さんに子供が
「なんでホタルってひかってるの?」と質問。
「ねえ、なんで光ってるの?」
「あれはねー。好きな人を探してるんだよ」
くぅーっ、さすがお父さん教科書通り!
うちもそう答えますわー。
***
こんな感じで子供はある時期になると執拗に
「なぜそうなの?」と聞いてくるんですが
これって実際、答えられない命題なんですよね。
どうやったら生まれるかは即答できますg
(あら。めんどくさい感じになってきました。)
「如何に」は答えられるけど「何故」には
答えられない。そう考えたら子供ってみんな
哲学者です。原初的な本能なのか存在の意味を
知ろうと、無邪気に底の抜けた領域を覗き込んじゃうんですね。
例えば子供から「なぜ僕は生まれたの?」と
聞かれたら、みなさんどう答えます?
どれだけ論理的に考え続けても、結局
真実(なぜそうなのか)にはたどり着けず
そこから先は論理を越えた妄想(物語)の
世界になってしまう。宗教をはじめ精神世界の
根本的矛盾はそれ以上言葉では言えないことを
言挙げしてるからでしょう。超越しているものを
表現した時点でその超越性は消えちゃいますからね。
小林秀雄を始め、極限まで存在を突き詰めた
人たちはその無知の知を素直に認め、黙ることを
選びました。多分にそれが正しい態度なのかもしれません。
てなわけで「どうして僕は生まれたの?」
と聞かれたら新聞で顔を隠し、ひたすら黙ろうと思います。(ホタルのネタ台無し)
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