精神衛生上の理由から最近まで
ネットを見てませんでした。
今はデマやフェイク、そしてトンデモ主張が多い。
あとSNS内の誹謗中傷ね。
見てるだけで疲れてくるのは
僕だけじゃないでしょう。
クレバーなリベラル系ってネットには
たくさんいるんだろうけど彼らの大半は
無視しますからね。
(まあそれが一番賢いやり方なんでしょうが)
ただ、これを真に受ける若者たちが
増え続けるのをおじさんは黙って見れないのですよ。
今日は子どもの日だし、タイミングも良いじゃないですか(笑)
「子供にネットを与えるな」は暴論。
そして学問は自由。何を学んでも良い。
大事なのは疑う力、つまり「嘘」を見抜く能力ではないかな、と。
「研究ごっこのパラドクス」では
古今東西、冒頭のような現象の
根っこが同じであることを説明しています。
ちなみにこれ読めばこの先見る必要ないです(笑)
最近の自己啓発やスピリチュアル
業界にそのまま当てはまりますね。
自分こそ本物だ、これが新しい常識だと
声高に主張することで今までの社会に対し
ルサンチマンを抱いている人々の溜飲を下げ、共鳴させる、と。
彼らにとって主張=集客(儲け)。
真実よりも利益が大事なんですね。
むろんバカの壁よろしくこういった状態で
良識ある対話空間など保つことができない。
自説を否定したら彼らのアイデンティティ、
つまり利益が消えちゃうわけですから
悪いことは悪い、間違いは間違いという
当たり前の認識ができなくなってしまうんです。
学生諸君、彼らの発言には気を付けましょうね。
特に「何かを極端に擁護(愛)している人」には。
「後記」
このブログで何度も書いてますが対話が
成立するには「前提(根幹)の共有」が必須です。
上記のサイトにも書いてますが愛煙家と
嫌煙家が「喫煙の楽しみ」をいくら議論しても
「タバコを吸うこと自体」が共有されてないので
水掛け論になるだけということ。故に真実を
検証する対話には「根拠や証拠」が前提条件となるのです。
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