明治以前の日本は共同管理がごく自然に
行なわれていて農業用の溜池や山林などの
大半は共有地として地元の人たち全員が管理していました。
多分にお裾分けはここからの派生でしょう。
その相互扶助の概念は物品だけでなく、
頼母子講や無尽(沖縄では模合とも)などは
無利息の銀行の役割を果たしていたんですね。
最近シェア、共有の概念が広がってますが
それはこの国のお家芸でもあったのです。
頼母子講仕様帳
また感情的なものを共有することを
共感と呼ぶように、我々は他者の心をも
分け合う、分かち合うこともできます。
これってすごいことですよね。
見えないものをシェアするんですから。
海外で言うコモンセンス(常識・良識)然り、
その共通認識が自然派生の秩序を形成するのです。
とは言え共感は絶対的な善ではない。
間違った人の感情や思想に寄り添ってしまえば
異論が出ても無難に回収しようとする
迎合の空気になってしまうでしょう。それは
share(共有)ではなくassimilate(同化)、
似てて非なるものです。
大事なのは一緒になることではなく
寄り添い、向き合うものを見極めること。
疑問符がある物事を本音で話せない
社会というのは、悲しいというより恐ろしいことですからね。
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