誰にも邪魔されない一人の時間と
空間であると同時に、多様な時間と空間に繋がっている場所。
snsで繋がることが当たり前になっていますが
不思議なものですね。スマホという自分だけの
小さな入口を開けば、広大な世界に繋がるのですから。
なるほど。フーコーよろしく非在郷(ユートピア)を
目指した結果、我々はその対極にある混在郷(ヘテロトピア)に辿り着いたのかもしれません。
今日はそんなところから。
随筆なので文法文脈気にしない、気にしない(笑)
空間に何かしらの意味を見いだしたとき
スペース(空間)はプレイス(場所)になる。
だから居場所って、とっても強い情緒が結びついてるんです。
例えばそれは心地よいカフェだったり、
静かな公園だったり。 人であったり、本であったり。
その時だけは自分のままでいられる空間。
だから人生の居場所は無条件、
どんな自分でも受け入れてくれることが条件。
それが居場所の根っこ。
***
大丈夫よ、心配せんで大丈夫、もうだいじょうぶ。
今はそんなホッとする母性的な拠り所、
心の居場所が求められている気がします。
「後記」
「今の」社会で居場所を作るには
条件が必要になってきますね。
学生は勉強、社会人は仕事。
親になれば子を養うこと。
その点で考えると 「会社しか居場所がない」
という人は危ないのですよ。自分が他人にとって
必要とされている限りは機能するけれど
必要とされなくなった時点でその居場所は
失われてしまうのだから。
その人がただ存在しているだけで良いと言う社会・・・まだまだ難しいですね。
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