2017/08/27

循環のワンセット。



人生は玉ねぎみたいなものだと言う人がいる。
皮を剥いても剥いても中身はないけれど、
涙を流しがらの剥くというそれ自体が価値である、と。


よくわかる。しかしそれじゃあ
ちっとも面白くないじゃないか。


そこで僕は生った花実だけでなく、そこに宿る種を見ますね。今日はそんな小噺でも。

玉ねぎの花



さて、現在スーパーに並んでいる野菜の大半はF1(雑種第一世代)と呼ばれる種からできた野菜だそうです。


F1のタネから育った野菜はどれも同じ
成育をして型にはまったような形になるので
規格通りの野菜を作るにはそのタネが一番
効率が良い。出荷しやすく
売りやすいという利点があるわけです。



しかしこのF1はオシベを持たないタネのため
花粉ができず子孫ができません。


我々はそんな一代限りの野菜を日々食べているんですね。





反面、在来種や固定種といった昔から使われている
種は一粒一粒に特徴があり、多様性を備えています。


早く育つものもあれば遅く育つものもあり
形もバラバラ。よって以前の農家はそれぞれの
大きさを見ながら収穫していたのです。


当然、それでは効率が悪くお金にはなりません。
しかしそのタネから成長した野菜は必ずまた
タネを残します。植物は我々に食べられるために
生まれてきたわけではなく自らの子孫を残すために
生きてるのだから、何もしなければ勝手にタネになるんですよ。


***


僕は(極端かもしれないけど)この自然な意思を
大切にすることが今の閉塞感を
解消する術になるのでは、と思ってます。



花実を早く咲かせる
ことだけに必死になるから、やってる途中も苦しいし、成果が出たら出たで
虚しくなるわけでしょう。



実り、咲かせた後は繋ぐ。
これって自然な円環螺旋ですよね。




0 件のコメント:

コメントを投稿