以前、ACジャパンのCMが荒れましたね。
内容はネットモラルに対する風刺CMでした。
苦情殺到!桃太郎(全国キャンペーン)
まあ、桃拾ったくらいで炎上はしませんけどね。
(ACさん、しれっと印象を操作してないか?)
今日はそんな批判、アンチについての小噺。
🍑🍑🍑
さて、一般的な批判のイメージは
問題を起こすだけで「悪者」扱いですが
僕はその意見には賛成できません。
最近どこぞの政党が「批判なき政治」という
スローガンを掲げて「批判された」んですが(笑)
批判が起きない政治なんて、ただの全体主義(独裁)でしょう。
トランプ政権同様、安倍政権は極端なアンチ潰しを
やってますがデモクラシーの根幹にある理念は
アンチを含めた統治、いわば「ねじれの統合」です。
そのためには高度な技術や知恵、そして対話が必要なのです。
それを拒絶し「あんな人たちには負けない」とか
言ってる時点で政治家(公人)になるべきではない。
個人的にそう思ってます。
知恵と技術がない人の発言
もちろん「集団の和を乱すだけで何も進まない」
という意見もあるでしょう。「決められる政治」や
強いリーダーシップが支持されるのも、これが根っこにあるからです。
しかし皆さん、ちょっと待ってください。
輪を乱してまでも問題を提起することは
そんなに悪い事でしょうか?
例えば(可決されましたが)共謀罪や
安保法案に対したくさんのデモが起こったのは
「穏便なやり方では強行可決されてしまう」からです。
現政権が国民の声を聴かずに決定する以上、
上記のようにわざわざ波風を立てて批判する
行為がないと、表面にすら上がってきません。
※もちろん人を傷つけて日ごろの鬱憤を
晴らしたいだけの人は論外ですよ。
硬直化した大手企業も同じこと。
批判なき組織は問題が水面下に沈んでしまい、
問題意識を感じていても誰も声を出せなくなる。
それってかなり病的な状態なんです。
だからあるきっかけで表面化した際、
「時すでに遅し」みたいな状態になってるでしょう。
タカタ然り、東芝しかり。つまり問題は
「存在しない」のではなく「見えなかった(見なかった)」わけです。
✍
今はとっても時代の流れが早いから
様々なことを性急に判断し変革しようとする
態度に異論を挟みにくい空気だけど、
その圧力に抗い「ちょっと待って」と
懐疑する精神は忘れちゃダメだなと思います。
ちなみに、これが本来の「保守」なんですよ。
「後記」
個人的に「批判」は子育て(躾)にも通じると思ってます。
子供は善悪の判断ができず自分以外の
痛みを感じる想像力が無い。あるのは旺盛な
好奇心と無自覚な行為だけです。
例えば子供にとって身近な昆虫は
「おもちゃ」だったでしょう。
尻尾を切る、火をつける、振り回す。
そんな残酷さから脱却するために大人が
躾けるのは当たり前のことなんですよ。
人格があるから嫌われるのを承知で怒るのです。
個性の尊重ってやつもそう、
基礎があって初めて個性は成立するもんです。
0 件のコメント:
コメントを投稿