「何もしなくても、特別どこに行かなくても
珈琲一杯で4時間話せる相手は大事にしなさい」
って言葉は確かにそうだなー、と思いますね(゜゜)
そういやこの間なんて8時間話してたという(笑)
不思議と沈黙が苦にならないんですよね。
なるほど「夫婦生活は長い会話である」と
ニーチェは言ったけど、誰かと長く
付き合うってのは長く会話するのと同義なんでしょう。
それは企業内にも言えること。
てなわけで今日はリゾーム派生組織論、
「対話」について。
さて、おさらいになるんですがunreveの対話は
ディベート(論争)ではなくカンバセーション。
自分の主張が勝つか相手の主張が勝つかといった
闘争心でやるようなものではありません。
多くの企業がこの前提で躓いてますね。
自己主張ばかりに集中し、反対意見をどうにか
潰そうとしてますが、そうなると「理屈一辺倒」か
「感情論で吠える」かのどちらかになってしまうでしょう。
対話は情理を尽くすことが大事です。
お互いが忌憚なき意見を交わす理由は
相手を潰すためではなく皆が気になっている
問題を共有し解決するためであって、その際の
ツッコミは根拠を求めているサインです。
例えば「Aの道」か「Bの道」かを決める際、
A派の根拠が薄いから、B派は納得しないわけで、
予め対処さえすれば議論の基本構造である
「主張・根拠・推論」が形作られるのです。
逆もまた然り。つまり真の対話とは良い意味で
「最高の空気の読み合い」と言うこと。
反面、対話ができないおバカちゃんは
「忖度」を求めます。気を付けましょうね。
本来良い言葉だったのに。。。もう使えねーよ。
閑話休題。
繰り返しますが対話の目的はカンバセーション、
全員の心の中に響く「まだ言葉になってないナニカ」
を抽出し、具現化(言語化)し、検討できる状態にまで
持っていくこと。
結果、良き場や対話が展開できた時は
「それだ!」と拍子が生まれたり、
「なるほど、確かに」と全員の溜飲が下がるんですな。
これが良い場の構造です。
つまり一人勝ちじゃなくて「全員勝ち」の状態ね。
💡💡
小林秀雄と岡潔の対話編「人間の建設」を
見た人は解るでしょうが、最初ザラザラした
場の空気がやがて混じり合い、実に見事な
ジンテーゼへと昇華していますね。なぜなら
そこには相手への尊敬、賛辞があったのです。
言い方を変えれば批評とは相手の主張を
「正しく評価」すること、故に小林は
「まず自己主張をやめろ」と言うのです。
論戦に誘いこまれる批評家は非難は非生産的な
働きだろうが主張する事は生産する事だという
独断に知らず識らずのうちに誘われているものだ。
しかしもし批評精神を純粋な形で考えるなら
それは自己主張はおろか、どんな立場からの
主張も極度に抑制する精神であるはずである。
そこに、批評的作品が現れ批評的生産が行われるのは
主張の断念という果敢な精神の活動によるのである。
これは頭で考えず、実行してみればだれにも合点のいく
きわめて自然な批評道である。
「後記」
対話、場の形成において自己主張が
先に来れば論争の種になりますが、
だからと言って全ての主張を無くせと言うのも
乱暴な「主張」ですよね(笑)
誰にだって言いたいことがある。
主張し、批判したいこともある。
嘘だと見破り、誤魔化しを暴きたいと
思うこともあるでしょう。個人的に
それは全然、間違ってないと思ってます。
だって小林自身も「物知り人」を
嫌いぬいてましたからね。彼は今で言う
「インテリ」を見ては攻撃しまくってました。
ちなみに僕は「物知り人」はそこまで
嫌いじゃないですが、「裏切り人」と
「無責任人」はすんげー嫌いなんで
こうやってブログに書いてます(笑)
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