江戸の学問には芸と道という概念がある。
芸は今で言うノウハウでありテクニック、
そして道とは自分自身の心を磨くことだ。
論語に算盤、吉田に緒方。
左のポッケにゃチューインガム。
てなわけで、今日は緒方洪庵についてでも。。。
吉田松陰の松下村塾と緒方洪庵の適々斎塾(適塾)、
広瀬淡窓の感宜園は幕末の日本で三大私塾と呼ばれた。
適塾の主催者は医師であり蘭学者である緒方洪庵、
門下生の中にはあの福沢諭吉がいる。
(広瀬淡窓はまた次の機会にでも)
面白いもので彼ら(緒方・吉田)の教育方法は
実に対照的だった。吉田松陰の教育方法が熱意によって
門下生の個性を引き出すのに対し、緒方洪庵は
徹底的な実学教育だったという。
適塾はその名の通り、自分が何に適しているか
という潜在能力を見出す場だ。だから私は
諸君らの就職の世話はしない。
あくまでも諸君らの自立の精神によって、
己の内にある原石を発見し、磨きをかけて
宝石にする為の場所だ。だからその宝石を
どう売るかまでは私は教えない。
部分であって全体ではないが全体であり部分である。
多分に緒方は裁量の余地を本人に与え
それぞれの個性を伸ばさせようとしていたのだろう。
反面、吉田松陰は学問を教えるというよりも
思想そのものを同じ立場から教えるという
密着感化型(?)と言える。
下手すればその自己中心的な熱量に
呑まれてしまう危険性もあるだろう。
故に、だからこそである。
ちなみに洪庵はシステマティックに医学や
オランダ語を教えていただけではなく、在り方も教えていた。
見れば五常的な道徳の傾向が゙゙ちど゙強いが
医者の立場にいる者の在り方であるのは間違いない。
どれだけ医学に精通していても、その技術が
素晴らしいものであったとしても、実際に
やるのは生身の人間である以上、知識は
心と同化しないといけないということだ。
三浦梅園もまた、同じようなことをいってる。
吉田松陰も異なる教え方ではあるが
この部分はみな、共通していたのではないだろうか。
芸と道はどっちが先か。
無論、道が先である。
☞☞
それぞれの思想があり、それぞれの教え方がある。
学ぶ方もそれぞれ考えがあり、認識が違う。
結局、毒となるか薬となるかは自分次第。
人に何かを教える場合、全員に効く万能薬などはないのだ。
全てのものは毒であり、毒でないものはない。
投与量のみが毒か否かを決定する。
パラケルススさんは分かってらっしゃる(笑)
これすなわち、加減の定義。
「おまけ」
昼の出来事を夜に再考し、
書きとめることを日課とするのがよい。
それらを毎日積み上げていけば大きな利益となる
by緒方洪庵
ブログは大きな利益になるんですぞ(笑)
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