内容がちっとも入ってこなかった本を
しばらくして開くと、ふっと腑に落ちることがあります(゜-゜)
以前は読むのが苦痛でつい飛ばしてしまった。
しかし読み直せばなんとその部分こそ一番肝要な部分だったんだ、と。
なるほど、作者が心血を注いで書いたものほど
読むべきタイミングがあるんでしょう。
そのあいだ、文句も言わずひたすら彼らは待っている。
そんな奥ゆかしい本との出会いは
最近とても少なくなってる気がしますね。
これは分かりにくいものや複雑なものが
良いと言うわけではなく、真の独創に触れると
一種の「混乱」や「拒絶」があるということ。
なるほど、彼の(彼女の)思想は既存の
枠組みから打ち立てられたものではなく、
誰かに押し付けようという意図もない、
さらに言えば正しいという自負さえない、
つまり彼らは意見はなく、確信だけがあったわけだ。
最近、独自や個性を「先に」打ち出そうと
言う人が増えましたが、独創や個性というのは
努力して掴めるものなのかと言えば、僕は疑問です。
多分にどれだけ非難されても自己に
忠実であった結果、そういった仕事をしただけではないか。
覚えた知識が複雑な世界でまったく
通用しないことを痛感し、直接世界に
ぶつかっていくことを彼らは決めたのです。
そこで得た独力独創だからこそ、
真似できないものになっているのでしょう。
故に心理学や倫理道徳で説明もできないし、
何かを分かったような空想的な気分では
決して作られるようなものではない、
なぜならそれは雪の様に重なり
積もることでしか得られないものだから。
逆を言えばその直接的な経験がない人に
確信が生まれることはありません。
☞☞
人はそんな確信によって動きます。
誰かを説得しよう、分からせようと常に
思考を巡らせているだけの人のいう事など、誰も聞いちゃくれません。
逆にそんなものをアタマの片隅にも置かず
ひたすら自己に忠実になることで現れる
「わたし」に、人は心動かさせるのです。
自分を表そうと思って表れるものは偽物です。
だから主張するものが傷つけられると狂ったように
人を傷つけるでしょう。
それは自然な力である淘汰作用に任せれば
自然と消滅する運命であるはず、ここだけは
僕は確信していますね。
☞
反省と後悔、迎合と調和は似てて異なるもの、
自虐的になる必要は少しもありません。
あなたを本当にわかってくれるときは、
あなたが自己に忠実に生きているときです。
あなたが無私の自己を中心に生きているそのとき、
あなたは現れるんです。
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