2016/08/01
所有拡大 = 自己実現 ≠ 幸福。
ナチスの強制収容所で生き残った心理学者に
ヴィクトール・フランクルという人がいます。
代表作は「夜と霧」、日本でもベストセラーになったので
知ってる方も多いでしょう。
全ての毛を剃られ、刺青で書かれた番号で管理された
著者は一日一食という、餓死寸前の状態で強制労働をさせられます。
明日ガス室へ送られるか、そのまま収容所にいるかは
ナチス達の気まぐれ、そんな日が毎日続いたのです。
そこから奇跡的に生還したフランクルは断言します。
自己実現を目指した時点で自己実現はできない、と。
後にマズロー自体も認めてますね。
自己実現は人間の究極的な目的などではない、
そもそも自己実現を意識している時点で、
生きる意味自体を見失っている証拠なんだ、と。
自己実現は副次的(やり方)に過ぎないということ。
それを人生の意味にしても、根幹の渇き自体は癒えないのです。
☞☞☞
~願望はその本性のうえからいって苦痛である。
その願望が達成されると今度はたちどころに飽きがくる。
目標はみせかけにすぎなかったからである。
所有は魅力を奪い去ってしまう~
これは哲学者ショーペンハウワーの言葉ですが、
村上春樹氏も同じような言葉で説明していますね。
~自己表現は精神を細分化するだけであり、
それはどこにも到達しない。
もし何かに到達したような気分になったとすれば、
それは錯覚である~
なるほど、多分にこの大いなる錯覚とは
所有の拡大から派生しているのでしょう。
☞☞
人を幸福にするものは、いかに多くのものを持ったか、
いかに偉大なことを成し遂げたかではありません、
今現在、手の中にあるものをどれだけ感じれるか、
それを愛し、楽しむことが出来るかどうかです。
愚かなセラピストや似非カウンセラーたちは
「そんな言葉、自分の欲求を誤魔化してるだけだ」と
自己の欲望を、望みを手に入れることを正当化してますが、
バカおっしゃい。誤魔化されているのはそっちでしょう。
それは自分を誤魔化しているわけでもなく
諦めを正当化しているわけでもない。
(間違えやすい部分なので細かく説明しますが)
それは愛し、楽しめれば良い、という端的な意味ではなく、
「愛して、楽しめているという経験そのもの」が
幸福は定義や説明が一切不要(不可能)であることを
教えてくれている、という圧倒的な事実認識です。
☞
歓喜の声は叫びでしょう。
真の感動とは嘆息に近いでしょう。
言語化なんてしない、できない。
言葉として獲得した時点で手の中にはないのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿