今日は8月15日、終戦記念日ですね。
毎年この時期に過去の歴史を伝えることで
(戦争を)体験したことのない世代でも当時の悲しみを
思い出すことができるのでしょう。
ただ、そこに「なぜ起こったか」という問いを
持ち出してきても意味はない。僕はそう思ってます。
やれ戦争責任だ、この国は侵略国家だったか、と
(戦争を体験したことない)専門家達は言っていますが、
当時は一瞬で価値観の大転換が起こったのだから
「なぜ、どうして」という問いは「魔女狩り」のようなもの。
多分にきっと「永遠に答えの出ないもの」となる。
本居さんの言う様に、また新しい質問が再生産されるに違いありません。
問題は魔女を探す行為ではなく、
本質的な部分に対する議論と解決ではないでしょうか。
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フランスでテロが起こった際、
ダライラマは「神に祈るだけでは何も変わらない」と言いました。
問題をつくり出してしまったのは、
我々人間(個人の総和)であるにもかかわらず、
祈ることで神様に解決を求めているのは筋が通らないではないか、と。
まさに正論。そして平和を祈っていれば
平和であるというこの
不思議な理屈(心理)は
表現こそ異なるけれど、根は同じである証拠かもしれません。
それは戦争やテロのように大きなものでなくても、
日常に溢れかえっているもの、日々誰かが叫んでいるもの。
(それが何かは書きませんが)
このブログではそんなイデオロギーを拒絶してます。
その防衛本能が伝統を守ることに繋がると思ってますから。
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