自ら作り、作られたイメージは
時に自分自身を苦しめるもの。
代表する作品がシリアスだからコメディを書くな、
誠実なイメージだから悪役を演じるな。
軽く(見える)人間はどこまでも軽く行け、
重く(見える)人間はただひたすら重くなれ。
時代に沿え、余計な主張をするな。
その観客(市場)の期待とは、その人に対する
評価であると同時に「それ以外の場所を求めるな」という圧力かもしれません。
しかしそれに従えばやがて飽きられ、消費されてしまう。
一発屋よろしく強烈であればあるほど、その振り幅は大きいでしょう。
そんな成功に見える失敗は、素の自分に
仮面をつけた時点で始まるもんじゃないかしらん。
店だってそう、コンセプトや理念を
コロコロ変えても誰からも支持されません。
スケベ心ほど見透かされるもんです。
無理な自己抑圧や変容なんて、止めることです。
見せかけのブランディングなんて、やるもんじゃない。
☞☞
喜劇王チャップリンの作品には
ユーモアだけでなく哀愁や怒り、そして涙があります。
多分に、純粋に笑いだけを追求するコメディアンとは違い、
様々な内面性を出していたからこそ、今でも語り継がれているのかもしれませんね。
多様な時代だからこそ、多層的なレイヤーの内包を。
間口は広く、奥は深く・・・・。
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