図書館で荻生徂徠の本を探していたら
「傷はぜったい消毒するな」という本が目に留まったので
一緒に借りてきました。
基本、生態学なんて見ないんですけどね(゜゜)
ネーミングの
クリックすると、Amazonのページに飛びます。
現場で傷口の消毒させてる
医者からすれば怪しいトンデモ本
なんですが、
パラパラと読み進めていると
著者の意図はどうも違うところにあるように感じます。
「最新治療といえど、期限付きの正しさ」
「正しい治療だから皆がしていたのではなく、
皆がしているから正しい治療だと思った」
なるほど。
多分に、これは傷の治療法を切り口とした
専門家と呼ばれる人たちの大半は
なかなか業界の常識を手放すことができません。
結果、間違った方法をいつまでも修正しなかったり
新しい方法を否定するようになります。
もちろん、彼らの研究や論理的根拠を
すべて否定するわけではないのですが、
「科学的根拠」によって断言したものが
常に想定外の事実によって覆されているのを忘れてはいけない。
科学的根拠というのは洋服で言えば
LだMだといった規格でしかありません。
当然、想定外は想定サイズには合わない。
そもそも測るモノサシ自体が違う場合もあるでしょう。
しかし彼らは洋服のサイズに合わせ、体の余分な
贅肉を削り取るという愚行をやってしまう時がありますね。
原発の安全神話などまさにそうでしょうし、今回の地震もそう。
遡れば太平洋戦争の上部がとった作戦だって既成概念を盲信してます。
「起きて困る問題は、実は起こらないのではないか」
その考えが次第に「起きないに違いないだろう」となり、
運よく免れたことを持ち出し「やっぱりそうだ」となる。
そして最終的には「絶対に起きない」と、
何の根拠もなしに確信してしまったわけです。
☞☞
もちろん自分の専門知識を否定することは
人を指導する立場にある人にとって死活問題なのは
重々、承知してます。
「スイマセン、間違ってました」では、今まで築き上げた
信頼が一気に崩れるということも分かります。
そんなことすればメシが食えなくなる、
天動説から地動説へのシフトでは、
少数の先鋭的研究者が新論を打ち立て、
ついで一般大衆にまず知識が広まったはずだと書いたが、
その根拠はここにある。
素人はそもそも先入観もなければ
その分野についてのことについての知識もない。
太陽が真ん中でも地球が真ん中でも
どちらでも大した違いはないと思っている。
だからこそ、地球が真ん中でなく太陽が
真ん中だと言われても動揺することなく新しい考えを受け入れられる。
つまり、専門家にとっては天地を揺るがすような
大事件なのに、素人にとってはちょっと新しいアイデア程度でしかないのだ。
専門家にとっては驚天動地のパラダイムシフトでも、
素人にとってはそうではないのだ。
新しいパラダイムを素人は受け入れやすく、
専門家は専門家としての自分の地位を守るために
懸命になって拒否するわけだ。
このため、パラダイムシフトの真っ只中では、
素人が専門家より知識の面で先を行って
最新の情報を享受し、
専門家は古い知識(旧パラダイム)にしがみつくことになる。
本書より一部引用~
人の体も心も全てわかってない段階で
一部の不届きものが、早計な答えをすぐに出したがる。
今の制度は論文を書けば専門家になれますからね。
焦って組み上げ、得々と発表し、正当化するために腐心するんです。
そんな人たちは本当の専門家を知らないでしょうが、
本当の専門家たちは、常に不思議に驚いてます。
それを言葉に尽くそうとすれば、膨大な時間と
思索が必要であることを観念しています。
例えばベルグソンの書著には薄い本もありますが、
それを書き出すまでに非常に長い年月が必要でした。
小林はそのベルグソンを書き出そうとしたけれど
途中で挫折し、断念しています。
書きましたが、失敗しました。力尽きて、やめてしまった。
無学を乗りきることが出来なかったからです。
大体の見当はついたのですが、
見当がついただけでは物は書けません。
正確に知ってるからこそ、書けないという逆説的行為、
これが本当の専門家ってやつじゃないですかね。
☞
諸外国と比べ、日本流の声はとても小さい。
けれど素晴らしい専門家達がたくさんいます。
その囁きに真摯に耳を傾けることができれば、
我々は大切なことを思い出すことができるでしょう。
先代の先輩方が紡いだ精神の糸を
「後記」
とは言え医療(人体)というものは不思議です。
「絶対」という言葉にはある種の強さを持ってます。
多分に、安心感という拠り所を形成することが、
自己治癒力の素材になっている時があるのでしょう。
癌患者が医者の「大丈夫ですよ」という
言葉の安心感によって、好転するケースがある。
笑うことで、癌細胞が消えることもある。
それってまさに精神の働きでしょう。
まさに切る、切らないという物質的な治療と
違った場所に要因がある証左です。
パラパラと読み進めていると
著者の意図はどうも違うところにあるように感じます。
「最新治療といえど、期限付きの正しさ」
「正しい治療だから皆がしていたのではなく、
皆がしているから正しい治療だと思った」
なるほど。
多分に、これは傷の治療法を切り口とした
業界や制度に対する批判本なんでしょう。
悲しいかな、医療の世界だけでなく
どこもこういった体質になってしまいますね。
どこもこういった体質になってしまいますね。
専門家と呼ばれる人たちの大半は
なかなか業界の常識を手放すことができません。
結果、間違った方法をいつまでも修正しなかったり
新しい方法を否定するようになります。
もちろん、彼らの研究や論理的根拠を
すべて否定するわけではないのですが、
「科学的根拠」によって断言したものが
常に想定外の事実によって覆されているのを忘れてはいけない。
科学的根拠というのは洋服で言えば
LだMだといった規格でしかありません。
当然、想定外は想定サイズには合わない。
そもそも測るモノサシ自体が違う場合もあるでしょう。
しかし彼らは洋服のサイズに合わせ、体の余分な
贅肉を削り取るという愚行をやってしまう時がありますね。
原発の安全神話などまさにそうでしょうし、今回の地震もそう。
遡れば太平洋戦争の上部がとった作戦だって既成概念を盲信してます。
「起きて困る問題は、実は起こらないのではないか」
その考えが次第に「起きないに違いないだろう」となり、
運よく免れたことを持ち出し「やっぱりそうだ」となる。
そして最終的には「絶対に起きない」と、
何の根拠もなしに確信してしまったわけです。
☞☞
もちろん自分の専門知識を否定することは
人を指導する立場にある人にとって死活問題なのは
重々、承知してます。
「スイマセン、間違ってました」では、今まで築き上げた
信頼が一気に崩れるということも分かります。
そんなことすればメシが食えなくなる、
だから引き下がれなくなってるんでしょう。
ただ、それは諸君らが自ら取るべき責任じゃないか。
それがその道で生きる覚悟ってやつだろう。
・・・・・と、小林秀雄なら言うでしょうね笑
結局、専門家の何がいけないかって、
何でもかんでも「絶対」って断言するところではないでしょうか。
ただ、それは諸君らが自ら取るべき責任じゃないか。
それがその道で生きる覚悟ってやつだろう。
・・・・・と、小林秀雄なら言うでしょうね笑
何でもかんでも「絶対」って断言するところではないでしょうか。
天動説から地動説へのシフトでは、
少数の先鋭的研究者が新論を打ち立て、
ついで一般大衆にまず知識が広まったはずだと書いたが、
その根拠はここにある。
素人はそもそも先入観もなければ
その分野についてのことについての知識もない。
太陽が真ん中でも地球が真ん中でも
どちらでも大した違いはないと思っている。
だからこそ、地球が真ん中でなく太陽が
真ん中だと言われても動揺することなく新しい考えを受け入れられる。
つまり、専門家にとっては天地を揺るがすような
大事件なのに、素人にとってはちょっと新しいアイデア程度でしかないのだ。
専門家にとっては驚天動地のパラダイムシフトでも、
素人にとってはそうではないのだ。
新しいパラダイムを素人は受け入れやすく、
専門家は専門家としての自分の地位を守るために
懸命になって拒否するわけだ。
このため、パラダイムシフトの真っ只中では、
素人が専門家より知識の面で先を行って
最新の情報を享受し、
専門家は古い知識(旧パラダイム)にしがみつくことになる。
本書より一部引用~
人の体も心も全てわかってない段階で
一部の不届きものが、早計な答えをすぐに出したがる。
今の制度は論文を書けば専門家になれますからね。
焦って組み上げ、得々と発表し、正当化するために腐心するんです。
そんな人たちは本当の専門家を知らないでしょうが、
本当の専門家たちは、常に不思議に驚いてます。
それを言葉に尽くそうとすれば、膨大な時間と
思索が必要であることを観念しています。
例えばベルグソンの書著には薄い本もありますが、
それを書き出すまでに非常に長い年月が必要でした。
小林はそのベルグソンを書き出そうとしたけれど
途中で挫折し、断念しています。
書きましたが、失敗しました。力尽きて、やめてしまった。
無学を乗りきることが出来なかったからです。
大体の見当はついたのですが、
見当がついただけでは物は書けません。
正確に知ってるからこそ、書けないという逆説的行為、
これが本当の専門家ってやつじゃないですかね。
☞
諸外国と比べ、日本流の声はとても小さい。
けれど素晴らしい専門家達がたくさんいます。
その囁きに真摯に耳を傾けることができれば、
我々は大切なことを思い出すことができるでしょう。
先代の先輩方が紡いだ精神の糸を
大事にしたいですね。
「後記」
とは言え医療(人体)というものは不思議です。
「絶対」という言葉にはある種の強さを持ってます。
多分に、安心感という拠り所を形成することが、
自己治癒力の素材になっている時があるのでしょう。
癌患者が医者の「大丈夫ですよ」という
言葉の安心感によって、好転するケースがある。
笑うことで、癌細胞が消えることもある。
それってまさに精神の働きでしょう。
まさに切る、切らないという物質的な治療と
違った場所に要因がある証左です。
まるで、魔法かなにかのよう。
言霊とはそのようなものかもしれません。
言霊とはそのようなものかもしれません。
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