こんにちわ、坂口です(゜゜)
日本の伝統絵画流派である琳派が
誕生して400年目になることから、
その系譜をたどったイベントが京都を中心に
開催されているようですな。
琳派誕生400年記念 琳派 京(みやこ)を彩る
これなんか、面白いですね。
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RIMP-A NIMATION 琳派400周年 ×『NEWTYPE』30周年 琳派オマージュ展
ちなみに、このブログの(マニアックな)読者さんなら
分かるでしょうが、unreveの言う「オマージュ」は
琳派と同じ概念。
コピーや二番煎じではない私淑という継承です。
今日はそんな小話でも。。。。
尾形光琳「燕子花図屏風」
さて、琳派最盛期を率いる本阿弥光悦が
芸術村を洛北、鷹峯に開き400年経つのですが
琳派は組織体制がなく、
家元があったわけではありません。
師弟関係を持たず、「私淑」という形で
受け継がれているという、自然派生的な
「美の継承」が続いてきたんですね。
半面、粉本主義の狩野派などは今の組織に近く、
基礎である絵手本(マニュアル)を忠実に守らせています。
(それだけではありませんが)
また、狩野派が幕府を始め権力側の
絵師だったのに対し、琳派は町人に
支持されたことから始まっている。
この構図は、実に興味深い(゜゜)フム
見ればあらゆる分野で「ツリー」と「リゾーム」が
生まれ、それぞれが独自に二項統合を行っているじゃないか、と。
☞☞
リゾーム的な琳派において
引き継がれているのは形式ではなく
見えない「美意識」、僕の言う「暗黙知」です。
それによって
精密な模写ではない「らしさ」を
各自が打ち出しているんですね。
例えばこの3つの「風神雷神図」など、
完全なコピーではなく、それぞれの独自性が出ています。
二つの屏風に絵を描くことを「二極一双」と言います
作品の輪郭線が重なっていることから、
尾形光琳(一番下)が俵屋宗達(一番上)の
絵を写し書きしたことが、調査で明らかになったんですが、
それは狩野派のような模写ではない。
暗雲の強くしたり、二神配置を変えたりして
その対称を強くしています。
また、酒井抱一(中央)は色味をシンプルに
することで、また違った風神雷神に仕上げています。
(細かく見れば、目線なども違う)
直接教えてしまえば、これら作品は
生まれなかったでしょう。
なるほど。
学びこそあれど、そこには自由があり、
尊敬はあるけれど、彼らは盲信ではない。
故に、琳派は水墨画のような漢画(中国輸入)が
中心だった狩野派と違い、この国に伝わる大和画と
漢画を編集しながら作品を作っていたんですね。
どっちでもあって、どっちでもない。
僕はこういった精神がとても好きです。
内容こそ違えど、僕もそんなお店を
広げたいな、と思ってます(゜゜)
「後記」
現代で一番近いのは
東京にある「ラーメン二郎」さんがそうですね。
二郎とはラーメンではなく、二郎という食べ物である。
なるほど、まさに(笑)
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