免疫の世界ではただ単に体内に
侵入してきた異質を攻撃するのではなく、
逆に「受け入れる」ということもやっています。
不思議ですね(゜゜)
(何かは分からないけど)ある一定条件下では、
自己ではない(非自己)の存在を認めるわけです。
そんな免疫系の寛容のメカニズムについては、
未だ明確に解明されていないのですが、
ともかく、我々の生命を維持するための免疫反応が
逆に機能することがある、というのは間違いないようですね。
なるほど、実に人間的といえる「許し」が
我々の無意識下でも行われている、と。
これまた人間くさい言い方をすれば、
最終的には愛であるのかもしれません。
今日はそんなところから。
俗なるもの、異質なもの。
基本、そういったものを我々は
「排除」したいと考えます。
もちろん、それはある意味正しい。
しかし免疫よろしく、全部が全部
そうだとは思えないんですね。
リゾーム概念は対立概念であるツリーを
避けるためのものではなく包括する概念ですが
それは陰陽や聖俗、そして思想の右左や裏表も含め、
その存在が肉薄した境界線の中で見出されるもの。
つまり対立概念がないものの発見とは
組織に呼吸させることと同義であって、
その鮮度が絶えないからこそ、動的平衡が
保てるのだと思っています。
また、それと同じように
「自己と場所の両方の呼吸を合わせる」。
顕在化されたものだけではなく
潜在化されたものを「察する」ことも必要でしょう。
そういったものが文化となれば、
この業界はとても素晴らしいものになる。
個人的にそう思っています。
☞☞
とは言え、議論を重ねても
なかなか意見は一致しないもの。
なぜならその前提(根幹)は各個人で異なるのですから。
マルクスが失敗したように、経済は
道徳(教義)で縛れるものではない。
神の見えざる手の如く、普遍のルールは作れません。
そこで冒頭にある免疫構造です。
免疫系の最大の特徴とは、一義的ではないこと。
王様のような存在が各機関へ
命令を出している(統一)のではなく、
各機関が自主自律的に機能し、内外部環境と
うまく関係性を保とうと働くことで、生命は維持されているのです。
以前書いた多田富雄氏のスーパーシステムとは
部分ではなく関係に本質を見出したのですが、
こういったことでしょう。
集中からの統一型ではなく、分散からの統合型。
unreveが自己組織化(個店主義)を
提唱しているのは、こういった理由があるんですね(゜゜)
「後記」
余談ですが、愛や喜びといったポジティブな
感情が免疫を上げる反面、怒りといった
ネガティブな感情は免疫力を下げることが
ずいぶん前に分かってからというもの、
世間ではポジティブ思考が歓迎され、
これだけの自己啓発の類が蔓延したのですが、
これは共生(包む)ではない、破綻していると言えます。
そもそも、どんな時でもネガティブにならない
人間になろうと思うこと自体、間違ってます。
本来はその「ネガティブ」を肯定すること。
抑圧(排除)ではなく、許すことが大事ですね。
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