2015/10/07
是非とも初心忘るべからず
こんばんわ、坂口です(゜゜)
ノーベル賞を受賞した大村智さんの
固定観念にとらわれない発想と、失敗を恐れない精神は素晴らしいですね。
「日本という国は生物の力をうまく活用して今日まできた歴史がありますね。 そういうのを我々は大事にしております。で、食糧にしても、人の例えば農業生産にしましてもですね、我々の先達たちは、本当によく微生物の生態を知って、そして他人の為に、世の中のためにという姿勢でずーっと来ている、そういう伝統があると思うんですね。その中のほんの一点として私が存在する。そのように思っているんです。そういう環境に生まれたことは良かったと思いますし、今回のこの受賞に繋がることができたのは、そういう先輩たちが築いてくれた、何というか学問分野の中で仕事ができたことだと思います」。
このコメントにも共感^^
日本って、自然とうまくやってきた
伝統があるんですよね。
おめでとうございます。
さらなるご活躍を期待しております。
てなわけで、
今日は世阿弥についての小噺についてでも。
さて、世阿弥が演劇や芸術についての思想を
まとめたものに「花鏡」や「風姿花伝」などがあります。
それは「形」から「型」へと至ることで、
個々の「花」を開花させることを目的としていますので、
あらゆる道に通じると言えるでしょう。
芝居役者は誰かが作ってくれた舞台で演じるが、
己の人生は他人が作ってくれることはない。
自分の力で舞台をこつこつ作り、芝居をするのだ。
こう言ったのは司馬遼太郎ですが、
これもまた、自分で開花させるという意味では
同じだと言えますね。
☞☞☞
個人的に、これはビジネスでも
同じことのように感じます。
起業当初は演じるだけでなく、脚本から照明役、
さらには帳面だって自分でつけなくてはいけません。
(アウトソースもありますが)
主役を演じること・表舞台の結果だけを
目的にして、一気呵成に進もうとしても、
なかなか成果がでない場合が多いんですね。
それはビジネスを一つの「道」と思うか、
一回きりの「舞台」と思うかの違いではないでしょうか。
期待と落胆が繰り返され、
焦っている時には、そんな
呑気に歩いてられるかと思うでしょう。
もちろんそれは正しい。
ただ、計算通りに敷かれたレールを
歩くだけのものではない。必ず試行錯誤は出てくるものです。
そして、その「試行錯誤し結果がでない時」こそ、
確実に見えない根っこの部分(リゾーム)が
成長しているのです。
例えば、高さ数十メートルの樹木を調べれば、
地中でも同じ長さの根が伸びています。
その過程では、根が成長するまで余分な枝葉を
「あえて」落としているんですね。
樹木は「根に合わせて成長している」のです。
☞☞
世阿弥は、そんな成長を求める未熟な状態を
「初心」としました。
最初の未熟な自分(初心)を忘れちゃダメ(不可忘)だよ、と。
つまり過去の失敗である「非」は、
これからの「是」になるための土台であって、
それがあるからこそ、成長の余白が生まれるんですね。
初心とは「当初の気持ち」ではなく「未熟さ」です。
これによって、現状に安寧しない精神が維持できます。
弥栄モデル(理念)派生の志向性もまた
「常に未熟(到達できない)目的ありき」なんですが、
こういった積極的引き算によって
「成長の余白(あそび)」や
「固定しない状態(動的平衡・揺らぎ)」を作るのです。
なぜなら、世阿弥は世間が常に
移り変わると確信していたから。
そして、その変化する世間と関わることが
芸道であると考えていたからこそ、
世阿弥は変化を志向する精神(あり方)を求めたんですね。
冒頭の大村さんの経歴を見ると、
それと同じような精神の働きがあるような気がします。
皆さんの組織はどうですか?
常に流動生成する「あいだ」はありますか?
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