喜と楽、怒と哀しさ。
そんな喜怒哀楽は人生において
なくてはならない、塩だと言えます。
緊張(興奮)すれば、リラックスもする。
そんな心の働きは矛盾こそしているけれど、
僕にとっては「ごく自然なもの」。
楽しさもあれば、悔しさもある。
努力もすれば、怠けもします。
そんな静と動といった
相反するものが一つになって、動きや流れが生まれているのです。
空を飛ぶもの、海に住むもの。
大地を駆けるもの、地に潜るもの。
どれが正しいなんてない。
今日はそんなところから。
そんな矛盾的同一性は、外部だけでなく
我々の内部にもあります。
例えば、呼吸や心臓の動きが圧縮と膨張という
相反するものの連続体であるように、
一つの流れを伴ったもの。
それは一定ではなく、微妙なズレ(揺らぎ)がある。
逆にその揺らぎがあるからこそ、安定していると言えます。
揺らぎは生命のリズム。
決して、一定のテンポを刻むメトロノームではありません。
それは無秩序ではなく、秩序を形成している
「不規則的な法則」なのでしょう。
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ここに命の神秘と不思議さがある。
例えば、生まれたばかりの幼児が
母親の心音を聞くと落ち着くのはなぜか。
また、9割以上の母親が子供を抱く際、
左胸に頭を持ってくるのはなぜか。
まさにそこには「動」と「静」の脈からなる
母親の心臓があって、
そこから不規則な法則のリズムである
心音が聞こえてくるから。
母親はそのことを無意識的に
分かっているんじゃないですか。
自然派生の調和とは、端的に言えば
調和的なコンフリクト(葛藤)ではないでしょうか。
なぜなら、違いを違いとして認めることで、
一つの流れが生まれているのだから。
これが日本流ではなく、「日本的」な概念になれば
調和は「迎合」となり、多数的なものが圧力を持ってしまうでしょう。
すると多数は少数を排除する志向性となる。
次第に多数の意見が固定され、それに
迎合するものだけが増えていきます。
これが組織の「風土」の原型となるからこそ、
組織は停滞し、腐敗し、やがて崩壊するのです。
まさにその種は内部から派生している。
例えば、上記のような対立や葛藤を
「悪いもの」だと捉えてしまう心性、
事を荒立てなくない、批判がないようにしたい心性。
これらは皆、思考を停止したいという願望であり
根源的な欲求なのかもしれません。
☞☞
そこで僕は二項の中に「間」を作る。
これがないと単にぶつかり合った結果
分断されるだけになってしまうから。
以前書いたように、接合点(ノード)が必要です。
そして、その接合点はどちらにも属してはいけないし、
どちらにも属さなければいけない。
また、このポジションは「第三者的立場」
であることが望ましい。
「賛成・反対」といった内部の声を
「切り離して考えること」は最も重要なポイントである。
なぜなら、両者の感情論争に巻き込まれると、
中間領域の示すデータ自体が、
信じてもらえなくなる可能性があるからだ。
(フランチャイズの中空均衡、ジーとザーの間に)より
この立場(境界線)は、よほどの
バランス感覚を持っている人か、
人格者でないと立場を維持することができない以上、
外部(第三者)という位置が望ましい。
(もしくは中間層を育成するか)
この境界線からバランスを整える産業は、
今の経済下では不在。必ずどちらかに偏っています。
今後この産業が新しく生まれる可能性が高い。
そんな気がしますね。
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