2015/05/05

天才のおんなまたちから



努力とは何か。



努力は天才でも凡人でも誰でもできるから
ある意味公平かもしれません、



そしてこの「努力」を必要としない
成功があれば、誰もが努力をしないと思いがちですが、



ゲーテは天才とは
「努力し、得る才能」だと言ってます。




なぜ天才には努力がセットなのか。





今まで僕がイメージしていた天才は
先天的な能力、特別な人のことだと思ってました。



例えば資料一回見ただけで
内容を全部覚える、とか、



並はずれた身体能力を持った
スポーツ選手とか、美しい声とか。




しかしどうもそうじゃない。
今日はそんな所から。。。。










ゲーテは天才の努力とは
発見(もしくは開拓する)為の精神だと定義しました。



我々が簡単で容易だと思っている所に、
世の天才たちは大きな壁を見るのだけれど、



それは容易だと思える事を複雑に
こねくり回しているのではなく、



「一見容易に見える」事に対し、
違った視点で「それ」を眺めているようです。




目の前にある既成品では満足せず、
常に作りだそうとする精神が努力の源泉だ、と。



☞ ☞



「それ」を発見したか、してないか。




まるで、自己の力を試す機会を
積極的に探しているよう。
そう考えると、天才ってストイックですね。



本人は単純に楽しんでいるだけなのかも
しれませんけど、そこには当然圧縮された抵抗がある。




逆を言えば、その抵抗なきところに
創造などはない、と思っているのかもしれません。



その抵抗に耐えうるほど追求したいものを、
万人が持つことが可能かどうかは分かりませんが、



その自己中心の精神さえあれば、
世間の競争とか比較には巻き込まれない。



つまり劣等感もなければ、不足感もない。





あるのは・・・・なんでしょうな。
多分、主客の消滅した純粋精神への止揚でしょう、




それが弁証法によって回帰する。
つまり振り出しに戻ることで、
有るけれど無いという精神になるというのは、
守破離の「離」の境地かもしれません。






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