2015/05/01
青い鳥
「それは一体、何のためか」。
本田宗一郎は、技術屋は技術を究めるが、
何のために技術を使うのか、その原点を哲学せよと言ってます。
難しいですね、「何のために」。
「何となく」と答える人が多いのも頷けます。
書き言葉にした時点で意味は
多様に広がり、肝心のものは失われるけれど、
とりあえず書きたいので書いてます。
☞ ☞
さて、原点回帰は昔からの癖でして、
それはビジネスだけに限らず、
実生活でもそんな感じです。
僕はつい「意味」を求めてしまう。
哲学なんて堅苦しい学問の話じゃない、
ただただ、知りたいだけ。
この「知ること」で得るものが、目的。
中には意味もなく、目的もなくやっていることこそ、
俺の魂が、まいそうるが喜ぶんだ、という人もいますが、
無意味、無目的にやることなんて、
一体、どれくらいあるのかしらん。
否、正確に言えばあると「言えば」ある。
ないと「言えば」ないのでしょう。
例えば上記だって「魂を喜ばすため」という
大きな目的があることに気が付いていない、
「何となく」にしても、何かが「良い」と
感じているわけで、
「何となく嫌」が成立するのもそう、
説明できないのと説明しようがないのは同じじゃありません。
そんな上位の目的を突き詰めれば
必ず精神が欲しがっているものへと辿り着くんですが、
その精神があまりにも
「当たり前すぎて」、なかなか気付かない。
その当たり前の精神を
「あっ、そうか」と、いちいちわざわざ理解して、
それを回帰によって明確な
志向性にするのが、unreveの理念なんですね。
☞ ☞
上位概念の目的、
それは本来、隠れているもの。
その本来の目的に気付かず、
手段を追いかけてしまう人がいるのですが、
戦略と戦術同様、
手段は決して、目的を補完してはくれません。
例えば、
「お腹が空いたから釣りをする」場合。
手段と目的の誤認とは、
空腹で釣りばかりやるようなものです。
それを「釣りはワクワクするから最高」とか、
「魚を釣ることこそ、真実だ」とか
言ってる人がいますが、
そんなわけありません。
もちろん、釣りをする目的は、
「空腹を満たすため」でしょう。
さらに言えば、
あなたは「食うために生きてる」のでしょうか、
それとも「生きるために食う」のでしょうか。
そして、食うことで維持される「その生」には、
一体何の目的があるのでしょうか。
もしかすると、手段を目的にしている時、
人は違和感を感じてしまうのかもしれません。
例えばお金は悪くない、
良いことをして、結果手に入れるなら全然悪くない。
反面、お金を忌み嫌う人がいます。
一体なぜか。
まさにそれを目的にしているからでしょう。
無意識的に手段を至上の目的にしていると
感じ取っている、だから「違和感がある」と。
僕はそう思いますね。
まさに上記の釣りのようなもの。
では、その先には何があるのか。
自己優越でしょうか、安心でしょうか、
豊かさでしょうか、自由でしょうか。
しかし、これらは全てお金という
「条件付き」である以上、有限なもの。
条件付き、制限つき、有限である
目的というものは、
言わば
「魚釣りをしないとお腹は満たされない」。
そんなわけありません。
手段はいくらでもありますし、
もしかすると、家に帰って冷蔵庫を
開けるだけでいいのかもしれませんから。
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