2011/10/11
根幹を変えよう2
さて、理念の欠如とは、言うなれば
屋台骨の喪失を意味します。
思想哲学の拠り所がなくなってしまえば、
存在意義さえも消えてしまうでしょう。
それは原理主義とは違います。
とても似ているけれど、根本的な部分は異なっているのです。
理念共有は「個人尊重」があってこそ。
時代と共に変わる「日々新た」。
古いようで新しい、温故知新のロードマップが理念なのです。
☞ ☞
理念が原理主義となれば、
異質が入り込む隙間はありません。
現在「多様でフラットな職場」という
スローガンだけが、ひとり歩きをしているのですが、
多分、9割以上の組織は階層型のはずです。
肩書きをもった人に決定権がある以上、フラットではない。
その状態で異質を取り込もうとしても、
不整合を起こし、かえって混乱するでしょう。
「ではどうしたらいいのか?」
これについては企業ごとに違うのですが、
いきなり全てを変えてはいけません。
まずはモデル部署(チーム)を作ることです。
フラット化させたその部署は分社という概念、
そこには責任と権限を持たせることです。
(詳しくはお問い合わせのほど)
異質とは均質にならないからこそ異質、
単に、社外や中途を採用することではありません。
組織母体が1000名の中に異分子を
数十名いれたとしても、大河に一滴のしずくを
たらすようなもの、効果は期待できないでしょう。
生身の人間の集合体が組織である以上、
時間をかけて風土を作る以外、道はありません。
トップが近視眼的な不安に耐えきれず、
短期的な結果を求めはじめた途端、
それまでの努力は全て水泡に帰しますので、
理念によって、ぶれない軸を作ることが
最優先事項なんですね。
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