ありのままの自分こそ正義。
なぜ、そんな極端な思想が広がったか。
なぜ、誰もおかしくない?と言えなくなったのか。
まあ、この話は置いといて、
そんな現代に、内田氏と養老氏が
警告を出しています。
これを当たり前だと思うか、
それとも怒りを覚えるか・・・・
バランスを知るには良い記事だったので
引用します。
☞ ☞
スペシャル対談 養老孟司×内田樹
日本人はなぜ、「バカ」になったのか
週刊現代より引用
養老 建て前としては「ありのままの自分」で行動していると言うけれども、実は一億総消費者になるために、個に分断されてしまっているわけですね。
内田 他者と共生する技術を持たない人たちが大量に出てきたのは、地域や親族などの共同体の解体の結果だと思います。
養老 僕たち年寄りは死んでいくから別にいいけど(笑)、若い人がこの先どうなるのか。正直、心配です。
内田 養老先生も先ほど言われたように「ありのままで」という言葉が流行しています。でも、「ありのまま」だけじゃ生きてゆけない。人間は「公」と「私」の葛藤の中でしか成長できない生き物です。大事なのは公私の「さじ加減」なんです。公共の福祉と自己利益を秤にかけて、適切な比率を見出す技術は場数を踏む以外に身につけようがない。
その経験知を備えた人が減りました。「誰かがやらなければいけない仕事なら、私がやる」という考え方をする人が一定数いないと社会は保たないんですけどね。
略
養老 今は家族や共同体が消えちゃったので、「公」を遠すぎるところに求めるんですよね。自己評価やよりどころを求めて、いきなり直に「日本」につながろうとするから、変に歪んだナショナリズムに走り、ネトウヨになってしまう。
内田 生身の人間が語る思想は必ず「ノイズ」を含むもので、そう簡単に「すっきりしたもの」にはならない。でも、そのノイズがむしろ説得力になり、連帯の基礎になるんです。そういう生身の身体感覚が、今の政治運動には左右どちらにも欠落していますよね。
養老 そう考えると、今の日本人は幼稚になっている、つまり経験が不足したまま大人になっているんじゃないかと思いますね。
内田 未成熟であること、利己的であることのほうが、成熟した市民であるより利益が大きいと思っているからでしょう。すぐに怒ったり、キレたりするほうが、感情を抑制するよりも周囲から気づかってもらえる。子供のままのほうが大人になるより得だと思えば成熟の動機は損なわれます。
養老 政治家にもそういう人が増えてますね。
略
養老 日本人というのは外交にせよ何にせよ、基本的に「反応」しかしないんですよ。「空気を読む」という言葉もあるように、自分から主体的に何かを提示するんじゃなく、その場の状況や起こったことに反応して動く。逆に、自分から動こうとすると損をする社会。出る杭は打たれる。
それに加えて面白いことに、日本社会の本音というのは常に、だいたい五分五分に落ち着くんですよ。自然とね。社会的な問題が起こったときに、賛成派と反対派が半々になる。僕は「内部の安定平衡」と呼んでいるんだけど、日本の場合、社会が安定平衡点に到達するのがすごく早い。
内田 受信する側の問題もあります。情報が増えすぎた一方、個人が処理できる情報量には限度がある。だから結局受信する情報を自分に理解できる話、耳に入りやすい情報だけに限定する。ネット上にはジャンクな「オレ好み」の情報だけを蓄積した「情報通」が大量出現してますから。
養老 そうやって自分の中だけで純化し、「これこそ重要な問題だ」と確信を深めていく。新聞の一面になる記事や週刊誌の見出しだけを表面的に取得して、論理的な深掘りをしない
略
養老 そして、「個人の感想だから」と責任逃れをする。
ネットは論文や資料を探すには便利だけど、僕はそれ以外では使いません。関係ないことはいくら頭に入れてもしょうがない。いくらネットの中を徘徊したって、現実はわかりませんよ。
内田 ネット世論は世の中を動かす力は弱いと思います。現実を動かすのは最終的には生身の身体です。実際に会って、声を聴いて、顔と顔を見合わせる場がなければ、運動なんか立ち上がりませんから。
養老 言葉というものは身体から出ているんだから、それを外したら意味がない。実体がないということ。
内田 匿名の人たちがネットで発信する言葉が過剰に攻撃的なのは、裏に無力感があるからなんですよ。どんな大声で叫んでもワンクリックで消されてしまう。自分の素顔も肉声も、どんな人間であるか誰一人知らないまま消されてしまう。その無力感のせいで、それだけ声が大きくなり、言葉づかいが激しくなる。
養老 人間にとって、一番便利な表現は怒りなんです。共同体の中で誰かが怒っていたらそれを鎮めるために、真っ先に対応される。これは生存戦略の一つで、赤ちゃんが泣くのと一緒なんだ。
内田 日本人全員が赤ちゃんのように駄々をこねたら、もうおしまいですけど、未成熟で幼稚な人間が増えている一方で、別のかたちの、これまで知られていなかった知的な運動も出現してきているように見えます。
引用ここまで。
自分の未熟さを自由とか、
ありのままという言葉を使って隠れ蓑にするなってこと。
しかも、そこにはナショナリズムへ
向かわせたい「誰かの意図」も隠れてる。
見えませんか?ハーメルンの笛吹き男。
内部にいては気付かないものです。
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作家・元外交官の岡崎久彦氏は、
「情報とは2つ以上の違った意見である」
と述べています。
つまり、複数の異なる意見でなければ、
情報ではないということです。
いくら多くの意見を集めても「同種」の
ものであれば、それは情報ではないのです。
私は、情報について、こう考えています。
「情報とは自分にとって付加価値を持つもの
である」
つまり、あることがメディアなどで伝えられた
時、それが自分にとって付加価値があると
認められれば、「情報」になりますが、
そうでなければ「情報」とはならない、という
意味です。
��例を挙げれば、「米国が利下げを決定した」
と報道されたとします。
株式や債券、為替の投資家にとっては、
重要な材料であり、「情報」になります。
ところが、投資家でなければその報道を
聞いても、「そうなんだ」ということで
終わってしまい、すぐに忘れてしまうこと
でしょう。
さらに、情報はすぐに陳腐化する性質を
持っています。
いつまでも抱えていたら、腐ってしまいます。
でも、抱えたがる人はいますね。
今や、情報を得ようとすれば検索を繰り
返せば、90%は入手できます。
ただし、ネット上に公開されていない軍事情報
などはあります。
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��藤巻隆(ふじまき・たかし)さん
コメントありがとうございます(^^)
そういや、最近の藤巻さんのブログ、躍動感ありますわ~♫
ん?
藤巻さんは、情報についての会話に
目がいったんですね。
確かに、情報って
陳腐化しやすいですよね。
僕は、それって情報に伝え手の主観が入っているからやと思ってるんです。
そうなると、情報は単なる
自己主張の道具になってしまいますから。
ここは僕も気をつけたい所です(^_^;)